見出し画像

本のご紹介3

「貧者の宝」モーリス・メーテルリンク著 山崎剛 訳 平河出版社
1995年3月第一刷発行

訳者によるあとがきから

~こうして翌年(1890年)八月、ミルボーが「フィガロ」紙でこれを絶賛し、メーテルリンクは文学的なデビューを飾る。同年、初期の戯曲「闖入者」(後にこのドイツ語訳をルドルフ・シュタイナーが演出している)と「盲目の人々」が相次いで発表される。~
「貧者の宝」は、こうした戯曲作品と並行して発表された翻訳書(彼がフランス語に訳した作品)の序文、雑誌発表のエッセーなどをひとまとめにした著者の最初のエッセー集である。この間に発表されたメーテルリンクの手になる訳書を挙げると、中世フランドルの(つまり彼と同国の)神秘家、ロイスブルークの「霊的婚礼の飾り」。~またノヴァーリスの「ザイスの弟子たち」「断章」の翻訳は1895年に刊行されている。~これらの序文や解説が「貧者の宝」に収められていることはすでに訳注で指摘した通りである。

貧者の宝 訳者あとがき

 シュタイナー、メーテルリンクの演劇やってたんですねなんかとても親近感。サイスの弟子たちも、とても美しい作品ですよね。

 またリルケは「メーテルリンク論」の中で「貧者の宝」をこう評しているそうな。

・・・かつていかなる時代にも、子供たちや乙女らのそれのように、これほど単純素朴な言葉で、大いなる秘密について語った者はほとんどいない。また、これほど深い沈黙がその内にこめられ、これほどに孤独と無私と静寂が、そしてこれほどにすべての声高さと喧騒に背を向ける姿勢がこめられている著書を、私は知らない」と。

貧者の宝 訳者あとがき

 喧騒に背を向けるに関しては、ピカートの「沈黙の世界」(1948年)に軍配があがると思うんだけどねっ後出しじゃんけんで。
 この本、13章からなるんだけど、第一章「沈黙」から印象的でこころ動いたかなっていう箇所を。

なぜなら言葉というものは人と人の間を往き来して消えていくが、沈黙はわずかの間でも相互に作用すれば深く心に刻まれ、深く心に刻まれるこの沈黙によってのみ、真実の人生、何らかの跡を残すかけがえのない人生が生まれるのだから。~もしわたしたちが一瞬でも天使の住まう魂の深みへ降り、とりわけ最愛の人を思い出すなら、そこに蘇るのはその人の言葉や身振りではなく、その人と共にした沈黙の体験である。なぜなら、愛や魂の質は、共にした沈黙の質に他ならないからだ。
~恐怖を抱くいとまもなく、生まれて初めて沈黙と直面した時のことを思い出してほしい。不安な前兆とともに、それは隠れた生の深淵から、あるいは美や恐怖の内なる海の深みから立ち現れ、あなたの魂の前にやって来た。あなたは逃げずにこらえ続け・・・。
 それは帰還の、あるいは出発の時だった。歓喜の、死の、絶望の時だった。一切の隠れていた宝石が輝きだし、眠っていた真実が突然目覚める。~
絶望の淵での沈黙の口づけはーー~ーー忘れようとしても忘れられるものではない。この体験がより多い者は人間としてより高貴なのだ。なぜなら、おそらくそのような者だけが、日常生活の皮相な表面下にどれほど深く静謐な水が湛えられているかを知っており、他の者たちより神の近くにいるからだ。そして光へ踏み出した彼らの歩みは、もはや低次の世界に踏み迷うことはない。魂は昇りつめてきた段階にとどまることはあっても、それ以下に堕落するすることはありえないからだ・・・。

ガチンコのそれ系の人の文章 って感じです。 で

~真実の存在を知るためには、己の内に沈黙を育まねばならない。なぜなら、ただ沈黙においてだけ、想像もしなかった永遠の花々が一瞬花開き、相手の魂に応じてさまざまに変化し、色彩を変えるのだから。

うん、この人ってノヴァーリス読んでますよねっ(笑)。納得、いいこと言うっ。

 うっ タイピング疲れた、コーヒーのもっ。

サポートは書籍の購入やnote周辺のことのために使わせていただきます。