豆屋①|大学を辞める
まずは私が初めて就職した「商品先物取引」の会社について書こうと思います。
かつて、先物取引の会社が「豆屋」と呼ばれた時代があったそうで、なぜそう呼ばれたかと言いますと、かつては大豆相場や小豆相場が商品先物取引の主流であったからだそうです。
当時は株式を取り扱う証券会社を「株屋(カブヤ)」、先物会社を「豆屋(マメヤ)」と呼んだそうです。
どちらも野菜の名前に掛けた蔑称のようなものです。
さて、私は都内の私立大学に5年間通いましたが、卒業出来ず中退してしまいました。
浪人までして入学した大学でしたが、第一志望ではなかったため元々あまり気乗りしておらず、大学の授業も想像していたような面白いものでも無く、家からも遠かったため、2年生になる前に既に半分ドロップアウトしていました。
そのままダラダラと惰性で通ってはおりましたが、遊ぶ金欲しさにバイトばかりしていたたため卒業単位も全く足りず、ついに大学5年目を迎えました。
親に申し訳ないと思い、さすがに多少のやる気は出しましたが、長続きするわけもなく、大学6年生になる前にいたたまれなくなって中退しました。
今からもう20年も前の話です。
当時は就職氷河期まっただ中でした。私はそもそも卒業単位が足りてなかったので、就職活動は冷やかし程度しかやりませんでしたが、一方ではライブドアのような華やかなベンチャー企業がもてはやされていた時代でもありました。ヒルズ族という言葉が流行ったのもこの頃です。
そんな時代背景の後押しもあり、「学歴なんか無くたって俺はビッグになってやる」という漠然とした野望と根拠の無い自信を持って、私は大学を辞めてしまったのでした。
<つづく>