幸多き人生の切り売り

営業一筋20年の転職難民です。人生の折り返し地点を機に、これまでのサラリーマン人生を振り返ります。

幸多き人生の切り売り

営業一筋20年の転職難民です。人生の折り返し地点を機に、これまでのサラリーマン人生を振り返ります。

最近の記事

豆屋⑦|文面

さて、先輩衆の異様なテレコール風景を見て面食らっていたところ、班長から「これで読んでテレコールの練習しといて。」と、テレコールの文面を渡されました。 以下、テレコール文面です。 『初めてのお電話で失礼いたします。 わたくし、〇×商事の小林と申しまして、今年の春に〇×大学を卒業して、営業の仕事をさせて頂いているのですが、まずは〇×大学の先輩方にご挨拶で回らせて頂いているんです。』 (※ここで少し雑談を入れる) 例)大学の話題や趣味の話題など 『ちなみに〇〇先輩は、資産運

    • 豆屋(番外編)|先物取引の仕組み

      「先物取引で破産して家まで持っていかれた人がいる」 「借金の保証人と先物取引だけは手を出してはいけない」 「先物会社はヤ〇ザよりタチが悪い」 …私と同年代の40代以上の方なら似たような話を耳にした事があるのではないでしょうか?? 実はこれらは私が先物会社への入社が決まり、家を出る際に父親から聞かされた話です。 当時は私も世間知らずの若造だったため、 『まさか、上場企業でそんな酷い会社があるわけがないだろう』と、意に介さなかったのですが、 実際に先物会社で仕事をして

      • 豆屋⑥|テレコール

        「じゃあ、テレコールはじめてー。」(班長) 9時になると、皆が一斉にテレアポをはじめました。 各々、学校の同窓会名簿などを使用して片っ端から営業電話を掛けまくり、「資産運用」と称して先物取引の勧誘をするわけです。 主なターゲットは、退職して自宅にいる60代の現役引退者です。 「私、〇×商事の〇〇と申します。この春に〇×大学を卒業して営業の仕事をしています。まずは母校の先輩方にご挨拶でお電話させて頂いているんです!」 …と言った具合に「センパイ!センパイ!」と連呼しま

        • 豆屋⑤|初出勤

          いよいよ初出勤の日。 勤務先の新宿支店は、新宿新都心の高層ビルの4×階の高層階にありました。 私は最寄り駅の高円寺から電車に乗り、JR新宿駅で降りて西口に向かいました。 オフィスビル群をスーツ姿で颯爽と歩く自分。 これだ。まさに思い描いていた社会人だ。 俺はここでビッグになってやる。 会社のデスクにはきっとデュアルディスプレイのPCが用意されていて、相場を見ながらお客さんに的確に電話で売買の指示をして。。 カッコイイ。いや、かっこ良すぎるだろ俺。。 そんな自分を思い

          豆屋④|高円寺

          無事に就職も決まり、高円寺にある独身用の借り上げ社宅に引っ越した私は念願の一人暮らしをはじめることになります。 中央線育ちの私は密かに憧れていた町だったため、寮が高円寺と聞いた時は胸が躍りました。 高円寺には古着屋や飲食店が多く若者に人気があり、他方、商店街にはねじめ正一の小説「高円寺純情商店街」で描かれているような昭和の下町感も残っており、新旧の良い所が融合したような、とても魅力的な町でした。 私の住んでいたアパートは、商店街を抜けた早稲田通り沿いにあるワンルームのレ

          豆屋③|蛎殻町

          求人に応募して履歴書を送るとすぐに「面接をするので本社に来てください」と連絡がありました。 日本橋 蛎殻町 (ニホンバシ カキガラチョウ)  東京のど真ん中のオフィスビルがひしめくここは、商品先物取引が多いエリアです。(ちなみに東京証券取引所のある日本橋兜町は隣町。こちらは証券会社が多いエリア。) 私の希望勤務地は新宿でしたが、本社である日本橋蛎殻町に向かい、そこの人事の室長さんと面接をしました。 後で聞いた話ですが、この室長さんは元・伝説の営業マンだったらしく、年間

          豆屋②|仕事を探す

          さて、勢いで大学を中退したまでは良かったのですが、海外に行くとかバンドでプロを目指すとか、特にやりたい事があって辞めたわけでもないので、ひとまず仕事探しました。 一応アルバイトはやっていましたが、ほぼ毎日遊んで暮らしていたため貯金は無く、かといって実家に居ても親に会わす顔がなかったので、手っ取り早く家を出るために社宅や寮がついている仕事を探しました。 2004年頃は今とは違い、まだまだ紙媒体の求人誌が健在でした。当時はまだスマホもなく、ちょうどネット社会に移行し始めていた

          豆屋①|大学を辞める

          まずは私が初めて就職した「商品先物取引」の会社について書こうと思います。 かつて、先物取引の会社が「豆屋」と呼ばれた時代があったそうで、なぜそう呼ばれたかと言いますと、かつては大豆相場や小豆相場が商品先物取引の主流であったからだそうです。 当時は株式を取り扱う証券会社を「株屋(カブヤ)」、先物会社を「豆屋(マメヤ)」と呼んだそうです。 どちらも野菜の名前に掛けた蔑称のようなものです。 さて、私は都内の私立大学に5年間通いましたが、卒業出来ず中退してしまいました。 浪

          豆屋①|大学を辞める