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自分を変化させる方法

他者との間でトラブルが起きた時や
モヤモヤな感情に陥った時
チャーンス!と捉えて
必ず内観するようにしている。
内観歴は10年になる。
ちなみに内観とは
自分の内面を観察する作業のこと。

ルールは必ず『自責』として取り扱うこと。
なぜ自責なのか?
『答えは自分の中しかない』ということが
揺るがない事実だと実感したからだ。
他責だと根本解決には至らない。
根本解決とは、根っこの部分を引っこ抜く
ということ。2度と生えてこないように。
その根っこは自分の中にしかない。
他人のせいにしてしまうことが
どれほど遠回りになってしまっているのか。
この回を見て気づいてくれる人がいたら
筆者は嬉しく思う。

知っているだろうか?
人間の脳にはデータが入っている。
生まれてきた時はみんなまっさらな状態。
そこに周りの大人たちから
データが容赦なくインプットされていく。
普段の言葉づかいや考え方
リアクションなどなど。
良いことか悪いことかは判断せずに
どんどんデータが入っていく。
そして基礎データが形成されていくのだ。

形成された基礎データをベースとして
いろんな判断をし行動している。
うまく使えば自分をコントロールできる。
いろんなことを乗り越える力がつく。
利用する手はない。
しかしそんなベースを使って動いているなんて
知らない人のほうが多いのではないだろうか?

基礎データにインプットされている情報は
いらなければ捨てることはできる。
ただ、保存されていることに
気づかないといけない。
存在に気づかないと捨てれないのだ。
一回では捨てきれないものもあるし
なかなか見つけられないものもあるし
玉ねぎみたいに何層にも重なっているものもある。
びっくりするようなものを持ってる時もある。

完全にデータ消去することに成功すれば
捨てたままでも良いし
新しいデータをインプットするという
選択へうつることができる。
このいらないデータ探しと
新しくインプットしたいデータ探し。
これが筆者がやっている内観である。

なぜ自責に着地させる必要があるのか?
なぜ他人のせいにしてはいけないのか?
先ほどの説明で答えは出ている。
基礎データはあなたの内面に存在しているので
見つけることができるのは
あなたしかいないのである。

例として
ある人の表情が自分に対する嫌悪感に感じた。
あなたの中のデータが処理した結果である。
嫌悪という結果に着地させたのは
他でもないあなただ。

気にもとめてない人もいるし
体調悪いのかな?と心配する人もいる。
顔がむずむずするのかな?で落ち着かせる人もいれば
困っているのかな?と声をかける人もいる。
人の反応はさまざまだ。

この嫌悪という結果に着地させた
あなたの中に眠っている根本データを
見つけて捨てるを選択しないと
いつまでもあなたはこのデータに
踊らされることになる。

人は基礎データを元に反応を選択して行動に移す。
行動すると何かしらの結果が生まれる。
この世の法則ー原因と結果の法則につながっていく。
結果が先で反応が後と考える人が多いが
それは違うと断定できる。
ここにもデータの修正が必要だ。
結果はもう最終結果でしかなく
もう出してしまったものでそこに何も意味はない。
パソコンのキーボードで『あ』と入れたら
『あ』と出てくるように
ただ入れたものに対しての結果が出てきただけである。
ただ出てきただけである。
目の前で起きている事象はただ起きているだけ。
そこに何も意味はないのだ。
それに反応している意味がないのはお分かりいただけるだろう。

先なのは、あなたの基礎データである。

基礎データにある情報を使って分析
判断の決定
決定した判断に伴う反応を選択(感情)
選択した反応を外側の世界に表現(行動)
表現した行動の判定(結果)


逆に言えば
基礎データにない情報は
反応も行動も望む結果も生まない
存在しないに等しい。
とも言える。
だから人は書籍を読んだり
うまくいっている人の教えを乞うのだと思う。

しかし、元に戻ってしまう。
それは基礎データが強固で
邪魔をしていると筆者は考える。

なので基礎データを消去して
発動させないことが
遠回りのようで近道のように
筆者は感じている。

基礎データがどのように作用しているかを
説明しよう。
いい例として
『ありがとう』を唱えなさい。や
ホ・オポノポノ・アファメーションがある。
常にこの言葉を唱えておきなさい。
というものだ。
あなたを幸せにする結果を
生むために必要な基礎データを
常にいつも脳の中に存在させている状態を
これらは維持させているのだ。

つまり
うまくいかない結果を生み出す
あなたの持つ基礎データを
発動させないという方法である。
もう出てしまっただけの
何の意味もない現象に
左右されることなく
感謝とか赦しとか優しい判断の決定が
常にある状態をキープしているのだ。

現象は少し遅れて出てくる。
だから以前に出してしまった悲生産的結果が
まだまだ目の前にあふれ現れる。
だから、それらに引っ張られないように
反応しないように
『○万回』とか『常に』とか
設けられているのだと考える。
そして何度も唱えることで脳に定着させ
思考の習慣化を実現しているとも言える。

やってみるとわかるが
ありがとうと言われ
ありがとうと感じることが充満してくる。
これはやった人にしかわからない。
筆者は半年かかったが。

つづく










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