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入社エントリ:わかりやすく、使いこなしやすい医療を目指して~医療現場、アカデミック、地域、そしてスタートアップへ~



はじめまして!

コントレア株式会社Medicalチームでリーダーをしております
吉田(https://x.com/aiko_contrea)と申します。
Medicalチームはコンテンツの内容の構成や制作、コンテンツの質の担保や向上を行うことで
MediOSが医療現場の皆さまに選ばれ、使いつづけてもらえるよう日々奮闘しています。
スタートアップ企業でリーダーなんて、さぞビジネスに強気でイケイケなんじゃないか。

否、実際はつい半年前まで「サーバーってなに?」状態の普通の看護師でした。

じゃあなんでこんなところにいるのか。
病院にいたほうがいいんじゃないか。

今日は入社エントリとして、コントレアにくるまでのことと
入社して感じていることを書いていきたいと思います。

***

「どこの科でもいい!どうしてもここ(大学)を受けてほしい!」

だんだんと登校する生徒が減っていく高3の冬、母のたっての願いで
急遽地元の大学を受験することになりました。

その大学ではどの学科を選んでも国家資格をとることができ、且つ姉の母校でもありました。

お金を出してくれるのは親だし
1つくらい親の希望するところを受けるか~

と軽い気持ちで唯一知っている職種の看護学科を選んだわけですが

3月、わたしの手元に残った大学は例の看護科だけとなっていました。

***

担任の先生の一言から

研究ってなんだかかっこいい。
高校時代、どこかの大学の先生の出前授業を聞いてから
どこかでそう思ってきました。

高3の3月。手元に残った看護科と、浪人生活を比べ
浪人生活を選ぼうとしたわたしに、担任の先生は言ったのです。

「看護師も人間の研究だよ」

え!そうなの?
、、本当に??

人間の研究ってどういうことだろう…


そんなこんなでいつの間にか看護科に入学していた私は
ナイチンゲールの「看護覚え書」の1ページ目で挫折。

理系科目のように「解く」ことができない看護という謎の学問に、
すっきりしないもやもやばかりが募る毎日を送りました。

病気とは?
人とは、、健康とは??

「正解のない問い」だというくせに間違いだけは指摘される日々。

人といるとお腹が痛くなるし、もう人間とは暮らせない。
動物も何を考えているかわからないので、怖くて近づけないし。
将来はロボットと暮らしたい。。

(当時の日記より。)

いつの間にか、わたしは看護のことが大嫌いになっていました。

でも嫌いって口に出すには、まだ全てを理解できていないような気がしたんです。

看護を無下にする人には怒りが沸くし
看護の仕事に就くことができる人のことを、看護が理解できなかったからこそ尊敬していました。

気が付けば、4年生の秋。
課題研究(他の大学でいうと卒業研究みたいなもの)を境に
認知症、難しい、、!看護研究おもしろい!!

・・・「看護師も人間の研究」という噂は
どうやら本当かもしれない。。?


ということで、社会人へ

今年、社会人8年目になります。

ここまでの7年間で
病棟で勤務したのちに大学院へ進学し、認知症ケアの研究を行いました。
その後訪問看護師として勤務し、
「わかりやすく使いこなしやすい医療」の実現のために
今年の4月にコントレアに入社。

現在はMedicalチームに所属して約半年になります。

いまの私の目標は、「ビジネスを嫌いになること」です。

嫌い、というのは自分の中にあまりない感情だからこそ尖っていて
忘れられない気持ちです。
それほど深く知ることで初めて「嫌い」と言えるまでの理解を目指したいと考えています。

(ちなみに看護のことは今も嫌いとは口に出せません。)


なぜコントレアに入ったか

医療の現場で働くなかで
体と心の健康にまつわるあらゆる説明が

  • その人にとってわかりやすく

  • 必要な情報から自分の人生を選択できること

  • そして、そのためにわたしたち医療専門職や医療に関わる仕事をする人の役割や存在が理解され、医療を受ける側の人々とともに適切にお互いを頼れるということ

がとても大事なのでは と感じた結果
「わかりやすく使いこなしやすい医療」を目指したいと考えるようになりました。

コントレアに入ろうとした理由は
自分が看護師の「アドボケーターとしての役割」を大事にしていることにも関係しています。

アドボケーターとは「代弁者」であり、患者さんの声を代弁して医療者に届けることで患者さんの権利を守る役割です。
そのためには、適切な情報が適切なタイミングで患者さんに伝わることも、とても大事なことだと考えています。

ただ医療機関の一職員の力では
「適切な情報を適切なタイミングで患者さんに伝える」というところは
どうしても限界がありそうです。

特に訪問看護師の立場では、
医師の治療に関する方針がわからず困ることが多くありました。
地域では利用者一人につき関わっている医療機関が多く、利用しているカルテも異なるため、利用者に適応された治療がどういう背景で選択されたのか医師と同じ医療機関外の者にはわからず、療養のフォローがしづらいためです。

***

ところでこれを読んでくださっている医療者のみなさん

私たちってなんだかずっと「分かり合えていない」気がしませんか?

同じ職場で働いているのに、本当はどんな理論を根本に持っているのかさえ知らない。

私は看護を「唯一知っている職種だったから」という理由で選びましたが、
看護師という職種をきちんと理解できている人なんて本当に少ないと思っています。

そんなお互いに「分かり合えていない」環境では
自分たちの本当の力をお互いに出し切れていないのでは?

もっと看護を使ってほしい、使いこなしてほしい、、、

わかりやすく、使いこなしやすい医療とは何か。

それは医療に関わる専門職たちの力をもっとわかりやすく、万人が使いこなすということでもあると考えます。

***

転職日記

医療の枠の外から現場全体に役立つものを!と思いながら始めた転職活動は

「わかりやすく使いこなしやすい医療」を叶えたい
そのために

  1. ACPなど意思決定支援に関する情報を他機関と共有できるツールをつくりたい

  2. 疾病や健康に関する情報や人・周辺企業・事業のハブとなる媒体をつくりたい

という軸で進めました。

看護師以外の転職が初めてだったため
自分にとって企業のホームページはどれも
よくわからない肩書と、カタカナと、アルファベットが並べてあるものでした。

コントレアも間違いなくその一つではあったのですが
「医療にかかわる全ての人に安心を。」というミッションが

自分の叶えたかった「わかりやすく、使いこなしやすい医療」と
とても近いのではないかと感じたこと

また、免疫のない資本主義な世界で、MediOSの説明に使われている
「対話」という言葉が目に止まったこと。

これらが「医療者のため」がひいては「患者さんのため」になることを表している気がして、コントレアに心惹かれていきました。


馴染みのある言葉をみつけて喜ぶ様子。

***

コントレアに入社して

入社して一番に感じたことは
「ついに社会と繋がった・・!」でした。

それまでも社会人ではあったのに、おかしいですよね。

でも看護師をしていた時は、社会とは患者さんを介してつながっているものでした。
患者さんや友人から聞く話が、社会の全てだった(と思っていた)んです。

コントレアでは、医療やビジネスの現場で多くの人々と直接対話し
チームとして働くことで、初めて「広い意味での社会」とのつながりを強く感じました。

私が所属するMedicalチームは、ほとんどが医学部のインターン生で構成されています。

自分が大学生の頃とは比較ができないくらい
皆、自分で考えて動くことができ
日頃からいろんなことを教えてもらっています。
完璧というよりも、むしろ得意なことがあれば苦手なこともある
人間らしくて愛おしい人たちです。

コントレアの人の良さは、優しくなる勇気があることだと思っています。
目指す先がそろっていて、そのために必要な議論と行動ができる。
応援してもらえる。
変な意地を張らずに相手の話を受け入れることができる。

「素直な人が多い」職場は、皆のこれまでの意識や努力で作られてきたんじゃないかなと感じるのです。

そんなこんなで、あっという間に入社後半年たちました。

***

おわりに

コントレアは2020年創業なので
大学院修了後にコントレアをみつけていれば
もっとはやい段階で今のメンバーと出会えていたかもしれません。

時間が巻き戻せたなら、在宅への道を開かずにビジネスの道へ進んだだろうかーー。

答えは「No」です。

訪問看護師として現場で働いた経験は、今の会社員としての時間を
より色濃くしてくれていると思います。

そして何より、私は訪問看護の現場を踏まなければ
コントレアで就業するためのイメージが沸いていなかったと思っています。

大学院から訪問看護に行った理由を尋ねられたとき
「在宅で暮らす認知症の方とその家族の現実を知りたかった」と答えているのですが、
「より人々の暮らしの近くに」という思いはあったにせよ一番大きなきっかけは実は
お金がない!!ことでした。

大学院生活はとにかくお金がなくて、美容室にもなかなか行けず
生まれて初めて肩の下まで髪が伸びました。
(伸ばしたんじゃなくて、伸びました。)
(当時励ましてくれた人、応援してくれた人、ごはんを食べさせてくれた人には本当に頭があがらないです、、。)

看護というものに、意味はあるのか?将来性はあるのか??

看護学は、医学と切り離せばたちまち“大半の人がなくても生きていける“
ものになってしまうんじゃないか。

大学院への入学が2020年というコロナ禍というのもあって
研究テーマを探す時も、決まってからも、心は孤独になる一方でした。

そんな中、講義のなかで聞いた
「物事のほとんどは解決しない。研究っていうのは痛みを感じること」
という先生の話に妙な納得感を覚えました。

「研究っていうのは痛みを感じてもらうこと。例えば具体的な数で森林火災の現状を目の当たりにすれば、色んな人が痛みを感じることができると思う。人が痛みに共感してくれれば、大きな動き・変化を招く。研究や留学は、不確定な未来を信じることから始まる。」

巨人の肩に乗る、とはよく言ったもので
社会は誰かを頼ること前提で動いているなあと感じます。

痛みを表現すると
その結果に心を痛めて次の行動を起こしてくれる人がいる
誰かを仲間に率いれると、思いもよらない化学反応がおきる

社会で生きるというのはそういうことなのかもしれない。
もっと「他人ありき」で良い

医療者だけで・看護だけで全てを解決しなくても良いのかもしれない。。

そんなことを考えながら、もっといろんな職種と関わってみたいという思いがどんどん濃くなっていきました。

お金もないし、引っ越しをせずに看護職以外の職種と関わってみたい。

企業への転職の選択肢も頭に浮かびつつ
それでも医療とビジネスがなかなかつながらず

医療ってこれでいいんだっけ? という感覚が剝がれなかったのは

現場から企業へ転職する人に 
「あ~ あいつは医療を捨てたんだな」という謎の「裏切られた感」を
当時は持っていたからだと思います。
(私だけじゃないはず。。)

ただ、地域医療の世界に出たことで
医療がどこまでいっても医療者本位になっていることを実感しました。

チーム医療の中心は患者といいつつ、実際はチーム医療の中心が医療になっている違和感を持っている人はわたし以外にもいらっしゃるのではないでしょうか。

訪問看護師としての日々を通じて
「医療ってわかりにくいよね・・」という共感が
「わかりにくいどころじゃないし、どこまでいっても患者さん側が受け身になっちゃうな・・!」
という悔しさと
医療や現状が「わかる」への人々の濃淡が
個人や家族単位、はたまた専門職同士で、それはそれは様々だという現状に奥深さを感じることに変わっていきました。

まとまるようで、全然まとまらないここまでのキャリアを振り返ると


ひょんなことから看護の門をたたき

いつの間にかコントレアにいたように感じるのですが

わたしはいまも「人間の研究」を続けているつもりです。


今までの失敗も、急性期病院やアカデミック、地域にいたことも、
それらがなければここまでビジネスの現場で医療の解像度を高めて戦えていなかったと思います。

コントレアという会社にきてみて、こんなにも医療現場の外で医療を応援している人たちがいることに気づき
そこに医療現場の代表として声を挙げることができるというのは自分の役割ではないかと思っています。

医療や看護に思いがあるからこそ、医療現場から離れることが怖いと感じている方

ビジネスの世界で医療をみつめるのもアリかもしれないと迷っている方がいたら

わたしたちで「アリ」にしてみませんか?

お待ちしてます!





コントレアの看護師メンバーで対談しました!こちらもぜひ


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