もう一人の相棒
もうだめかもしれない。
自分を信じられない。
自分を生きる勇気が持てない。
指先からさらさらと砂のように消えてなくなりたい。
そう思った時、私の形を留めてくれたのは一つの指輪だった。
覚悟と決意の証としての指輪
8年続けた看護師を辞め、親と絶縁した時、指輪を買った。
転職先では今まででは考えられなかったような経験を沢山した。
いかにこれまでの自分が井の中の蛙だったか痛感すると同時に、自分のスキルをもっと堂々と試してみたくなった。
そして、上のnoteから約1年後、私は再度転職した。
奔走する喜び
30歳でほぼ未経験の私を営業職として採用してくれた現職は、私が求めていた環境そのものだった。
充実した研修、結果より過程を重んじ、挑戦する姿勢を評価する風土。
誰しもが喜んで私の背中を押してくれて、私も遠慮なく挑戦した。
時には失敗することもあるし、上司に頭を下げに行かせたこともあったが、責められるよりも攻める勇気を失わないよう励ましてもらえた。
できないことをやるのは苦しい。
でも、できないことでも自分の意思で挑戦させてもらえる環境は何よりもありがたく、30代とは思えないほど無邪気に奔走した。
結果、1年間で予想を超える好成績を残すことが出来た。
自分への過度な期待
天職だと思った。
看護師時代も前職の経験も、全てがこのための伏線だと思えた。
絶対に期待に応えたい。いや、期待を越えたい。
充分な、ではなく、圧倒的に、驚くような、凄いことを成し遂げたい。
こんなに良い環境なんだから、
こんなに良くしてもらってるんだから、
こんなに楽しいんだから、
何でもやれるし、やってみせなきゃ。
そうして前年度の終わり頃から私はフルスロットルで走り始めた。
息切れと休息
数字が自分の思うように伸びなくなった頃、製品のリリースやキャリアアップの打診も重なり、成長を加速させなければならない時期が来た。
今まで通りやっていたのでは数字が伸びない。
自分が早く波に乗らなければ、どんどん遅れを取る。
これまでやってきたことに加えて、やったことのない試みや、キャリアアップに向けて後回しにしてきた重要なスキルにも向き合うようになった。
結果、全てのことが上手くいかなくなった。
これまでやってきたことも、新しく試していたことも、苦手ながら向き合ってきたことも、壁にぶち当たった。
息切れしただけだ。少し休めばまた元の自分に戻れる。
これまでだってそうだったじゃないか。
いつだって出来ないことをわかってて、泣きながらもがいて、自分のものにしてきたじゃないか。
そう信じて、少し長めのお休みをいただいた。
社用スマホを家に置いて、ゆっくり羽を伸ばした。
「大丈夫だよ」「あんたはあんたでいいよ」と心の中で唱えながら、ポンプで空気を入れるように、自分という風船を安心で満たしてあげた。
そして絶望
しかし、休み明けの週、風船に大きな穴があいた。
何も起きていないのに、誰かから何か言われた訳でもないのに、ある瞬間に自分の中でふと、「これはもうだめだ。私には無理なんだ」と思った。
脆くなっていたところが張り裂けて、頑張って詰めた安心が勢いよく噴き出していく。
もうおしまいだ。
自分はだめなんだ。
縫っても貼ってもこの風船は使い物にならない、オンボロでどうしようもないだめな入れ物なんだ。
私と出会ってしまった不運なお客様、私が担当になったばかりにお役に立てず申し訳ありません。
体の穴という穴から汗や涙や謝罪が噴き出た。
マスクが濡れて気持ち悪い。
それでも出来るだけ哀れな顔を覆いたくてつけたまま帰った。
祈り
自暴自棄になっている時、生活をおろそかにしてセルフネグレクトをしてしまいがちになるが、それは自罰のようでいてただの怠慢である。
しっかり食事を摂り、風呂で自律神経を整え、充分な睡眠をとることが今できる限りの努力である。
そう理解していても、どうしてもできないのである。
自分を甘やかすことも、整えることもできないまま、夜だけが私を通り過ぎていく。
リビングの目立つところに、指輪が二つ置いてある。
一つは深い緑と黒の石がゴールドの枠に縁取られたもの。
もう一つは鮮やかな水色の石の上に珊瑚のようなインクルージョンが乗りプラチナの枠で縁取られたもの。
私は2時間ぶりに立ち上がり、手を洗ったあと二つ目の指輪をはめた。
まじまじと見つめたあと、自然と手を組んでしまう。
せめてこの指輪をはめている間だけは楽な気持ちになりたい。
祈るような気持ちで、私が唯一できる生活の営みだった。
私の中に確かにある能天気な海岸
この指輪を買ったのは去年の夏、つまり2023年の夏だったが、この石との出会いはさらにもう一年前に遡る。
私の呼び掛けで初めて投票に参加してくれたという若者と一緒にAlbizia鎌倉長谷店に伺った。
いくつも惹かれるものはあったものの、特に目を奪われるものがあった。
まるで沖縄の澄みきった海のようなターコイズとガーデンクオーツの石だった。
それはまだ何のアクセサリーにもなる前のルースであった。
地金となるリングを嵌めさせてもらい、その上にルースを置かせてもらう。
この子を指輪にすると、こうなるんだ。
自分の指に晴れ渡った砂浜が現れた。
その日の鎌倉は猛暑で、由比ヶ浜のあまりに遠慮のない夏っぷりに笑ってしまうほどだった。
その何にも縛られず「うちはうち」然とした能天気なサマービーチは指の上に光るルースを通して私の心を照らした。
私は、実はそういうのも嫌いじゃないんだ。
むしろ誰かに遠慮して押し殺した自分を解放して、夏の海みたいにピーカンの晴れでありえないくらい能天気な部分もあるんだ。
一つ目の指輪は深い意味の底を思わせるアズライトマラカイトが根暗な私を象徴していたが、それとは真逆な浅瀬の海を思わせる陽キャな自分を肯定できたのは、意外な出来事だった。
再会と再生
鎌倉でのルースとの出会いから1年後、現職への転職を決めたとき、石はまだ売れずに残っていてくれた。
売られていてもがっかりしないように、と思っていたが、いざ姿を確認できたら本当に安心した。
「待っていてくれましたね」
デザイナーのネムさんがおっしゃってくれた時は、思わず涙が出そうになった。
このルースでは指輪を作ると決めていた。
気が引き締まるような、そして「何とかなるさ」と根拠もなく背中を押して
くれるような、底抜けに明るい相棒として、この先の無謀な挑戦を支えてほしい。
そんな思いを込めてこの子にはある言葉を彫ってもらったのだった。
外付けの勇気としての指輪
2024年9月某日の深夜に意識が返ってきた。
指輪外し内側を見る。
これはパラッパラッパーというゲームの主人公パラッパの口癖だ。
クラスの高嶺の花である女子をデートに振り向いてもらうため、彼はいくつもの困難に立ち向かう。
数々の人生の講師に弟子入りする時、必ず「Yes. I know, I gotta believe!」と言って次のステージがスタートするのであった。
転職を決め、今の会社に入ると決めた時、私も私ができるって信じていた。
そして、いつか自分がこんなふうにくじけそうになることもわかっていた。
だから、この指輪に託したんだ。
私に勇気がなくなった時、いつでも外から与えられるように。
石の意味
買った当初も調べたはずだが、忘れてしまう程度には気にしていなかった石の意味を改めて調べてみた。
困難に立ち向かう力をくれるターコイズと、時に心を休めてコツコツと真面目に取り組むための心の安らぎをくれるガーデンクオーツ。
まさに今の私に必要な力だったのだ。
トンネルを抜けた先には
若干体調を崩しながら終えた重大な商談は、予想以上に良い方向に進んで行った。
これでスランプを抜けることができたかはまだわからない。
それでも、この子がいれば大丈夫。
何度でも挫けて良いし、何度でも立ち上がれば良い。
人差し指の重さがそう信じさせてくれる。
I gotta believe !
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