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アメリカ先住民の教え #1

みなさんこんばんは、ゆにこーんです🦄✨
今回は私が好きなアメリカ先住民のお話をしようと思います。
(なんか今までの記事と雰囲気が違うぞ?!と思うかもしれませんがいつも通りのゆにこーん節で書いていきますよ。)

1. 私が先住民を好きなわけ

私は先住民が好きです。アメリカ先住民(俗にインディアンと呼ばれているものです)はもちろん、他の文化における先住民ならほとんど好きです。

なぜ好きなのか?
それは言葉でまとめるのは難しいですが、彼ら先住民の暮らしや使用していたものを資料や博物館で見ると、私の中の何かがものすごく反応するのです。(変な意味ではないです)
今では考えられないような生活や文化、それでも確かに私たちと同じように地球で人間として生きていた、それだけでも人の尊さや地球の偉大さを感じます。

しかし、ただそれだけでは歴史上の人物や文化ならどれでも当てはまります。その中で特に先住民に惹かれたのは、私が彼らのことを”もっともヒトらしい生き方”をしていた、と思ったからです。

今のように文明が発達しているわけではなく、もちろん電気やガスなどの概念もありません。狩りや作物を中心に生活し、そのなかで独自の文化やルール、概念を発展させてきました。

先住民に共通していることとして、”自然への執着”が挙げられます。
ほとんどの先住民の文化において、自然に対する信仰が厚く、それはただの宗教的発想ではなく、私たちが生活する現代にも通ずるものばかりです。
また、彼らの思想から得られる”言葉”は、ただの文字通りの言葉に過ぎず、その奥にある価値観や思いは非常に考えさせられます。

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これはかなり昔、私がアメリカのとある博物館で撮った写真です。
「その刺青みたいなやつ、どんなデザインだよ!」
「なんで大事な部分が丸出しなんだよ!」
「その口どうしたん?」
などなどツッコミどころ満載な”先住民くん”ですが、おそらくこの時代におけるそこの文化にとっては当たり前のことなのでしょう。

現代の私たちにとって考えられない格好ですが、逆に彼らが私たちのことを見た場合、同様に考えられないと思うでしょう。
それでも彼らも私たちも同じ人間なのです。
ね?少し先住民について興味を持つようになりません??

2. 自然とアメリカ先住民

アメリカ先住民にも、ホピ族やウテ族、ラコタ族など、多くの族が存在します。そして、アメリカ先住民には”ビジョン・クエスト”という伝統の儀式が存在します。”ビジョン・クエスト”とは、成人の証として、または人生の転機に際して行われるもので、孤独・不安・恐怖・欲望など、自我を捨てて大自然に溶け込むことを指します。それにより、木々や動物、鳥のささやきなどが「大いなる神秘」からのメッセージを届けてくれるといわれています。

もちろん、ほんとに木々や動物などが話しかけてくるわけはありません。
大自然に溶け込み、自分自身を見つめ、大自然から自分自身で学ぶ。
それは”悟る”という概念に近いといえるでしょうか。

ここで、彼らアメリカ先住民の自然に関する教えを紹介します。

”ひとの暮らしに疲れたら、自然に還る。”
”こころを澄ませば、自然はいつも語りかけている。”
”地球を母として、動物や植物を兄弟として敬う。”
”ひとの都合より、自然の摂理を尊重する。”

これらの言葉は生命を存続していくために重要なことだと思います。
彼らは自然とともに生き、他の動物や植物を糧として生きていることを常に思い、そして感謝しているからこそ、何十年・何百年にも渡って彼らだけの独自の文化で生命をつないでいくことができたのだと思います。

3. スー族に伝わる伝説

スー族という部族に伝わる、とある伝説を紹介します。
(個人的解釈が入っていますが、内容としてはほぼ合っていると思います)

 ある少年が、自分自身の力と勇気を試そうと”ビジョン・クエスト”に出かけた。部族の人々を驚かせられるような、すごいビジョンを得て「メディスン・マン」になると自信満々だった。

”ビジョン・クエスト”はじめの夜。
 ひとりぼっちで山にいることに怖くなり、少年は泣いてしまった。それでも、精霊がやってきたら捕まえてビジョンを得るという決意は変わらずに持っていた。
 しかし、ビジョンは現れず、明け方には「お前が騒いだせいで鳥も動物も木も眠れなかった。どこか違うところへ行け。」と声がした。
 少年は踏ん張り、その場にとどまった。

”ビジョン・クエスト”2日目の夜。
 山から大きな岩が転がってきて、恐怖におののく少年をかすり、少年が持ってきた聖なるキセルを潰してしまった。

”ビジョン・クエスト”3日目の夜。
 空腹と恐れ、そして寒さから失神寸前の少年に、「まだ居たのか。どこか違うところに行け。」と、また声がした。
 しかし少年は、「命令されるのはごめんだ」、と、居座った。
 それでもビジョンは現れない。

”ビジョン・クエスト”最終日の夜。
 望みをかけた最後の夜だった。山全体が揺れだし、土砂崩れが襲ってきた。少年は山から逃げ帰った。何も得られず、精霊を怒らせた、と泣く少年に、長老はこう諭した。
「お前は野牛を追う狩人のようにビジョンを追い求め、精霊を捕まえようとした。自分にはビジョンを得る権利があると思っていた。しかし、ビジョンは孤独に耐えたり勇気を示すことや力ずくで得られるものではないのだ。ビジョンとは、慎みのこころと知恵と忍耐に対して与えられる、”大いなる神秘”からの贈り物なのだ。”ビジョン・クエスト”で何も得られなかったとなく前に、その経験から学んだことをよく考えてみることだ。」

4. まとめ

スー族に伝わる伝説、みなさんはどのように受け止めましたか?

私は”ビジョン・クエスト”を人生そのものに置き換えてみました。
私自身、今までの人生で数多くの失敗や挫折を経験してきました。最初はこの少年のように、「自分にはできる」や「当たり前」などという根拠のない傲りから、失敗してそのまま挫折するというような感じでした。

しかし、長老の言葉のように「経験から学んだことをよく考える」ことが、失敗や成功よりも大切なものだと思い始めた時期がありました。
それは、結局自分がどうにかしないと何も変わらない、ということを失敗から学んだからです。それ以降、失敗しても成功しても、その経験から得られたことを次にどう活かしていくかを考えて行動するようになりました。

そうすることで、人生がより奥深いものに感じるようになりました。
また、人は自然に還ることで、精神的にも肉体的にも回復します。コンピュータが溢れる世界から少し離れて、大自然の中でちょっと過ごすだけでも、自分の考えが改まることが多々ありました。
なぜあのときはあのように考えていたのか、こうすればもっと良くなるのではないか、など、どんどんアイデアが生み出されます。それは自然のなかでゆったりと考えられる時間を確保することで、より思慮深い状態になるのだと思います。

私は先住民の考えが好きです。そして、自然も好きです。
”生きる”や”生きている”という概念はとても難しいものですが、少なくとも私にとって先住民の教えや大自然から得られる恩恵は、その概念に最も近いもののひとつと言えます。

みなさんは今回この記事を読んでみてどう感じましたか?
それぞれの人生、それぞれ考えること・感じることは違うと思いますが、
少しでもみなさんの人生に対する考えに役に立ったのなら幸いです。

それでは今回はこの辺で失礼します。
(あれ?今回のゆにこーん、結局まじめ回だったのでは?)
また次回の記事でお会いしましょう!!

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