イソクラテスvsプラトンを将棋で理解する
みなさん、イソクラテスは知っていますか?
知らないですね?
このNoteでは以下のことがたったの30分で理解できます!
ソフィストはウォーズ廃指し勢
プラトンはいつも不戦敗
早指しは低次元、アリストテレス
イソクラテスは将棋ソフト
一応哲学のNoteです。
ソフィストはウォーズ廃指し勢
「3切れは将棋じゃない」このフレーズ、あなたは目にしたことがありませんか? そんなあなたはソフィストと呼ばれる人たちをよく理解できます。
ソフィストとは古代ギリシアにいた人々で、
弁論という言葉の戦闘スタイルを極めた人です。
要するに3切れの達人です。
彼らが重視したのは好機(カイロス)という考えです。
「どんな優れた考えでも、すぐに出て来ないと意味がない」というものです。
彼らは議会での答弁などすぐに答えるということを重視しました。
もしもあなたが本当に将棋の達人だとしましょう。
しかし、考えれば時間が過ぎてしまいます。
時間が切れればあなたは負け、素晴らしい手があったとしても、それは表に出てきません。
ソフィストは言います。「指されていない手は存在しないのだ」
このような理由で、彼らはとにかく速さを重視し、その次ぐらいに指し手の価値を考えるのでした。
切れ勝ちは彼らにとって名誉なことだったでしょう。
議会の答弁で言葉に詰まり、時間がきてしまった人をどう評価すればいいでしょう。この意味で、ソフィスト達はたしかに真理の一つを言い当てています。まず手を指すこと、答えること。正確さは後で考えればよろしい。
更に、考える時間を減らすには真面目に考えてはいけません。
将棋で奇襲やハメ手を覚えるように、彼らは議論で勝つ、
勝つことだけができる技術をどんどん進歩させました。
もちろん、これは議論や話し合いとは呼べません。
相手の言葉など聞かなくとも、彼らは「説得力のある演説」ができる人々でした。
「重要なのは勝つこと」というのはある意味で大変ストイックな生き方です。
プラトンはいつも不戦敗
さて、こんな早指しジャンキー共に文字通り親を殺された人がいました。
彼こそ哲学者として名高いプラトンです。
彼は早指しに師匠を殺されたので、将棋ウォーズは将棋じゃないと強く思いました。
さて、そこでプラトンはまず切れ負けを憎み、無いものとして考えます。
持ち時間は無制限の将棋です。
更に手の良し悪しを考えないソフィストへの怒りから、最善手を強く求めました。
しかしプラトンはやりすぎました。
プラトンはその辺の最善手、プロの先生が指すレベルの手ではなく、
将棋の神様が指すレベルの手を求めるようになりました。
これがイデアです。
ソフィスト達はすでに書いたように議会という早指し大会の場で連戦連勝でした。プラトンはこの風景も嫌でした。
「なんで俺の師匠の手を認めやがらねぇんだ」
プラトンは議会、早指し、そうした政治的な場から離れていきました。
そして将棋のイデア、初手の最善手、2手目の最善手、3手目の最善手……を延々と考えた訳ですが、もちろんこんなこと人間には思いつきません。
だからプラトンは将棋を、政治を辞めました。
プラトンはひたすらイデアを考え、「最善手ってこんな感じだろうなぁ」と思い、アイデアを本に書き溜めて過ごしました。
彼はもう、最善の手が浮かぶまで一切行動しないつもりでした。
彼は早指しとウォーズを憎むあまり、ソフィストのいう「何も成さない人」になってしまったのでした。
彼の考えた最善手は彼の弟子らにだけ共有され、多くの人の知る所となりませんでした。
早指しは低次元、アリストテレス
さて、プラトンの姿勢は色々やりすぎでした。
そんな訳で弟子のアリストテレスはもうちょっと現実的な路線を考えました。
それは「ウォーズは将棋じゃない」と論理的に書くことです。
彼が『弁論術』という本でソフィストと将棋のことを研究したことは有名です。さて、彼は「早指しは将棋だが、低次元」という形で話をまとめようとしました。
プラトンは「早指しと将棋ウォーズと議会演説は将棋じゃない」と考えていたので、一見アリストテレスはすごくまともです。
しかしアリストテレスはすぐに「高次元な将棋とは研究会である」と書くことで、将棋を高次元と低次元に分けました。
プラトンのことをオブラートに言うことにかけては、アリストテレスは天才的でした。
この完璧で抜け目のない論理により、後世の人はプラトンと研究会こそが本物で高次元であり、早指しとソフィストと議会と将棋ウォーズは低次元な物体な影にすぎないと信じました。
こうして鬼殺しとレトリックと45角戦法は存在が低次元なので、誰も研究しないというソフィスト冬の時代がやってきました。
プラトンとアリストテレスは、レッテル貼りによって早指しとソフィストを抹殺することに成功したのです。
イソクラテスは将棋ソフト
さて、そんな冬の時代の前にソクラテスとソフィストに同時に影響された人がいました。彼こそイソクラテスです。
彼はソフィストの弟子として最初は将棋を指し、切れ勝ちを学びました。
しかしある時ソクラテスという人が将棋には最善手があり、それを追求したという話を聞いて彼は感銘を受けました。
かくして、将棋○ォーズという泥沼から比較的まともな人が現れたのです。
イソクラテスはまずソフィストを批判しました。勝てばいいというものではない、廃指しでは棋力が向上しないと。
他方、プラトンの路線にも彼は惹かれませんでした。イソクラテスは夢の中で将棋に勝ちたいのではなく、現実に勝ちたいのです。
だから、研究会に引きこもるのではなく、研究した手を披露する場、すなわち議場と将棋会館を彼は必要としたのでした。
ではイソクラテスは廃指しではないとして、どの程度の手を指すのを目指したのか。それは「良い可能性が高い手」です。しかしかなり厳しい基準でした。彼は「その時指せる最善手」こそが良いものだと考えました。
これは「最善手ではなくとりあえず勝てる手」のソフィストと、「その場では到底指せない手」を追求するプラトンと道を分かつものでした。
ところで「良い可能性が高い手」と聞いてみなさん思いつくものはないでしょうか。そう、イソクラテスの理想は将棋ソフトだったのです!
まあソフトはともかく、イソクラテスはひたすら現実路線を走りました。
研究会もやる、各国の王と通信将棋と外交もする、議場で演説もちょっとする、できる限りのことはなんでもやるという彼の姿勢は、彼の人気につながり、イソクラテスの学校は生徒の学費でけっこう潤いました。
このイソクラテスの精神を教育された生徒達は地中海の各地で王になったり政治家になったりしました。
勝てばいいのソフィスト、最善じゃなきゃ駄目のプラトン、その間のイソクラテスが、どうやら紀元前300年ぐらいの世界には合ったようです。
この精神を彼はこう要約しました。
Youはなんでこんな文章を?
さて、以上の文章はシラフで書かれています。
酒を入れていません。
それでいてなぜこんな狂った文章を書くのかと言えば、
古代ギリシア哲学の大枠をつかんでほしいからです。
厳密で正確で美しい文章は、私が読んだ本の中にすでにあります。
だから、私の最善手は「本を読め」と伝えることです。
ですが、それはあまりに怠惰ではありませんか。
私は専門書のなかで厳密に検討された事実を乱雑に陳列します。
おもしろおかしく描写します。
そうすれば古代哲学に興味がある人に「良い可能性が高い情報」を提供できると信ずるからです。
大枠をつかんだあなたには、ぜひ以下の専門書を読むことをおすすめします。
ですが、読まずとも構いません。私はあなたがイソクラテスが言う「一定の知識(ドクサ)」を得たと信じます。
参考文献
柿田英樹『倫理のパフォーマンス イソクラテスの哲学と民主主義批判』彩流社 2012年
廣川洋一『イソクラテスの修辞学校 西欧的教養の源泉』講談社 2005年
納富信留『ソフィストとは誰か?』筑摩書房 2015年
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