小説 出戻り妹とその兄のギスギスした四方山話
「おまえはどうしてそう跳ね返りなんだ」
「それは妹に向かってどういう口ですか。兄の言い口でしょうか」
「これがそう言わずにはいられるか。出戻りの分際でよくも言えたものだ」
芥川孤蝶は一度結婚している。
そして例によってそれに失敗し、華麗に生家に舞い戻ったのである。
孤蝶には生家たる芥川家にやはり兄があった。
兄は時代にふさわしく実学主義であったが、一方で時代の一般男性には珍しく妹の芸術に理解があった。しかしその兄も出戻りの妹にはさすがに辟易したようで、出迎えてそのままひと通りこの妹を思うさまに罵った。それはたいへんな剣幕であったが、生まれてからずっとこの兄の妹をやってきた孤蝶はまったくひるまずに、その罵倒に逐一口をはさんだ。
「いくらおまえが実学を信奉するどころか道端に投げ捨てようとするような妹でも、婚家から離縁を言い渡されるでなく自分から出ていく女があるか。そこまで頭がいかれていたとはさすがのおまえの兄も思わなかった」
「思っていなくて結構だわ。私の頭はいかれてなんかいないもの。そんなものは実証主義の誇大妄想よ」
「妄想癖はおまえだろう。この○○め」
「言いましたね。そんなものは妹への兄の言い口じゃないわ」
「おまえは本来既におれの妹でもないし、おれもおまえの兄ではないだろう。家を出たはずなんだから」
それら罵倒のいっさいを吸い込んでビロウドのどっさり敷かれたラウンジが静まり返ると、兄妹はおたがいにじつと見つめあった。やはり十数年兄妹をやってきたからには、ある程度目を見ればわかることがあると、なぜだか二人ともが信じていたのである。
しかし二人がこうして見つめあったところで、これまでにわかりあった事実もただの一度としてなかった。実学主義の兄と芸術家の妹はまったく考えがすれ違っていて、掠ることすらやはり一度としてないのである。
「……黙っていても仕方がない。どうして婚家を出てきた」
ここまで罵倒の限りを尽くし、喉を潤わさずに口を噤んでいた兄の声はわずかにかすれており、一度喉に引っかかったような発声であった。それに彼は煩わし気に眉を顰めて、書机の上の水かめを持ち上げた。こぽこぽと水中呼気音をたてて注いだ水をそのままぐいと喉へと流し込み、それから兄はやはり妹にくれるようなものではない流し目で自分の妹を見やった。
「わたしが悪いのよ」
幾分か久しぶりの、馴染み深い毛の生えた椅子に孤蝶はすっかり座りこんでしまっている。孤蝶はもともとこのラウンジの毛深い椅子にとって女主人であった。そのために孤蝶にとってもこの椅子は自分のものであった。
「そんな話はしていない。もっと具体的な話をしろ。いまのおれは芸術家の迂遠な被害妄想のことばに付き合ってはいられない」
「ひどいことを言うのね。でも、向うの家のひとたちも同じようなことを言ったわ」
ふうとあえかなため息を吐いて彼女はすこし目を伏せた。
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