家族間の会話から学ぶ隠された習慣
私は小さい頃、よく喋る女の子でした。
両親に「ちょっと黙っとけんかね?」と呆れながら言われてました。
ある日洗い物をしていた母に学校でのエピソードを話していた時、
「え?それは誰が言ったの?なんの話???
あんたの話にはいつも主語がない」と言われていました。
その当時の私の話し方を思い出すと主語無く話していたなと思います。
しかし、それは治ることなく友達と話している時もよく同じような
質問をされていました。
気をつけてはいましたが、話に熱が入るとつい文法を忘れて勢いよく
喋り続けるのが私の悪い癖です。
そして、コミュニケーション学を学んでから暫く経ち、
両親の会話を聞くとその内容に何となく違和感がありました。
最初はその違和感が何なのか不明瞭でしたがよくよく聞いてみると
2人とも話の主語が全くと言っていいほど無かったのです!
そして、自分が話している文章に主語がないのを気が付かず、
2人とも「誰が?」「何が?」と途中で質問をしながら会話を
していました。
私がずっと主語が無いと言われていたのは、両親の話し方が耳から
染み付いていたからなのかと気がつきました。
その当時はその発見に一人で大笑いしましたが、
今となればコミュニケーション学と出会ってよかったなと思います。
あのまま社会人になっていたら社内は愚か、
社外でのコミュニケーションで大変恥ずかしい思いをしていたでしょう。