「本当のご縁」を確信する
以前、「本当のご縁」とわかるには、ある程度の時間がかかるので、目先の動きで「ご縁があった、なかった」と早トチリしなくて良いことを記事にしました。
今回はその続きです。
それは1977年のこと。音楽家 細野晴臣がYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成する1年ほど前。
当時、彼は音楽プロデューサーとして踏み出すべく、一枚のアルバムづくりに着手していました。
山下達郎、吉田美奈子、矢野顕子など、そうそうたるメンバーが楽曲を提供、アメリカからメジャーデビュー前の女性クレオール歌手リンダ・キャリエールを招聘し、企画から半年も経たないうちに、早くもテストアルバムが完成しました。アルバムの名はズバリ…
「リンダ・キャリエール」
当時流行っていたソウルミュージックに、さらにアジアンテイストが盛り込まれた、彼女のメジャーデビューにふさわしいそのアルバムは、細野晴臣にとっても音楽プロデューサーとして海外市場へ雄飛するための試金石でもありました。
さっそく、アメリカ市場への発売に向けてレーベル会社で販売戦略が検討され、出された結論は…
「発売見合わせ」
だったのです。
アルバムがお蔵入りになった理由は複雑なため、ここに書ききれませんが、「これでは発売できない」とその音楽の方向性を含め種々オトナの判断があったようです。
音楽の完成度は非常に高く、後に一部は坂本龍一や山下達郎にカバーされるほどでしたから、当事者の落胆はどれほどのものだったか、想像するに余りあるものがあります。
しかし、「そこで踏みとどまってはいけない」と、彼はさらに自らの音楽を見つめ直し、翌年には坂本龍一、高橋幸宏と共にYMOを結成して世界市場への進出を果たした上、ポップスや映画への楽曲提供を通じて、日本の音楽界をけん引する重要な存在となったのはご存じの通りです。
一方、彼女はR&Bグループ ダイナスティのボーカルとして改めてメジャーデビューを果たし、プロシンガーとしての道を歩み始めたのでした…。
…それから42年を経た今年7月。
アルファレーベル創立55周年記念として、アルバム「リンダ・キャリエール」の復活発売が突如アナウンスされたのです。
急いで購入したアルバムから流れる彼女のケレン味のないクリアーな歌声と当時新進気鋭だった若手ミュージシャンのシュアな演奏は、アレンジが多少古臭いのは仕方がないとしても、非常に高い水準にあることに驚かされました。
さて、このアルバム、心血を注いで完成したものの、42年間も塩漬けにされた不遇なご縁の産物に見えますが、細野晴臣の回想が全てを払拭します。
「アルバムがお蔵入りになったことでYMOが生まれたんですよ。それがなかったら、僕はずっとプロデューサー業をやっていたかもしれない。そこは大事なポイントだったんだとも思いますね」
それに対して、もう一人のご当人であるリンダ・キャリエールから寄せられたコメントを意訳すると
「人生に限界があると思っちゃうのは、自分で心の扉を閉めちゃってるから。
私はね、大海原の向こうにある水平線を見つめて、新しい冒険へ心を開いたの。
だって、愛することが全てを可能にするんだもの。」
表現は異なれど、お二人とも同じニュアンスの回想を寄せていて、
40年以上経て、音楽を通じての強く長い「本当のご縁」を確信するアーティストたちの言葉がそこにありました。
お時間のある方は、引き続きこちらをどうぞ
坂本龍一のインストゥメンタルカバー「Neuronian Network」
リンダ・キャリエールの本家版ボーカル「ALL THAT BAD」
同じメロディながら、坂本流、細野流の全く異なるアレンジを、こちらからメドレーでお聴きいただけます。
作曲:細野晴臣