
気がつくと、誰かに後押しされてる私がいた。
最近、フリーランスで事業を営んでいる方と知り合いました。
メッセージを何回かやりとりしながら、
いつも、おだやかで、ていねいな姿勢で、
それでいて、一本スジが通っていて、
「とてもできたヒトだなぁ」
と感心していました。
一方、自己紹介の中で、
過去に乗り越える何かがあったのだろう、
と思わせるくだりもありました。
やがて、
あの方がフリーランスに転じたいきさつを知ることになります。
ある組織の中で、ココロの弱い人間が自らのアイデンティティを保とうとして、
理不尽なふるまいの矛先を絶えずあの方に向けていたようでした。
この平和な日本では、ある意味苛烈とも思える体験です。
「大変でしたね。」
わたしはわかったつもりでいましたが、
実は、半分もわかっていないのかもしれません
本当に、本当に、
平凡な表現しかできませんけど、
その苦しみに耐え、乗り越えてきたから、
今のあの方があるのでしょう。
ふと、頭の中にあの歌が浮かびました。
こうなると、頭から離れなくなります。
やるせないメロディと歌声、
そして、後半の歌詞があの方が体験された人生の一片を、
うすぼんやりと見せてくれるような気がしたからです。
白いページの中に 柴田まゆみ
あの方の書かれたテキストは、
どれもこれも理路整然として読みやすい。
でも、ご自分を語る段になると、
指先に冷たい欠片を感じることがあります。
それは、刃こぼれした欠片が、
服のたもとに残っていて、
思わずそれに触れてしまったよう。
ああ、あの方も長い坂道をのぼっている途中なのだと、
読むたびに、察しています。
あの方は迷い人をみちびき、
ひとりたたかうセンチュリオン。
でも、懸命に誰かを応援していると、
いつのまにか誰かに応援されています。
そうして、世の中を担うひとりとして磨かれ、
頼りにされてゆくのです。
いずれ、あの方は実感するでしょう…
「気がつくと、誰かに後押しされてる私がいた。」