小説を読んでみた(12冊目『死にがいを求めて生きているの』)
今回読んだ小説
タイトル
死にがいを求めて生きているの
著者
朝井リョウ
出版社
中央公論新社
あらすじ(概要)
誰とも比べなくていい。
そう囁かれたはずの世界は
こんなにも苦しい――
「お前は、価値のある人間なの?」
朝井リョウが放つ、〝平成〟を生きる若者たちが背負った自滅と祈りの物語
植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。
二人の間に横たわる〝歪な真実〟とは?
毎日の繰り返しに倦んだ看護士、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。
交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、 目隠しをされた〝平成〟という時代の闇が露わになる。
今を生きる人すべてが向き合わざるを得ない、自滅と祈りの物語。
読み終えた感想
まず、純粋にタイトルに惹かれた。
"死にがい"って。
今のところ人間誰しもが帰結する「死」に対し、かい(甲斐)という効果や値打ちを求めるとは、どいうことなのか?と一瞬思ったものの、実は自ずとそこに向かっているという変えようのない事実がある。早いか遅いかの違いはあれど。
それに気づいているのかいないのか、意識しているのかしていないのか、説明しづらいその感覚が垣間見えたような気がしました。
また、死ぬことを避けられないのと同時に、時代も避けられないと感じました。平成という時代にせよ、どんな時代にせよ、生まれて生きているのであればその時代に自動的に放り込まれる。新しい時代になったらなったで、新しい時代に放り込まれる。闇?光?そりゃいろいろあるだろう。
でも、リアルタイムだからこそ見えない闇も光もあり、飲み込まれようとも照らされようとも、気づかなかったり、苦しんだりもするんじゃないかと思います。
そもそも自分にとって、"生きがい"とは何だろうと考えたとき、特に何も思い浮かんでこなかった。
もちろん、生きていて楽しいこと、嬉しいことはたくさんあったし、これからもあればいいなとは思っている。
しかし、改めて"生きがい"について考えると、何も思い浮かばない。本当になにも。
この本と自分の考えや経験との関連性
平成という時代、私自身も義務教育から社会人までを経験した身ではありますが、どうすればいいの?という疑問のような迷いのようなものに、実は囚われたままだったことがこの本を読んでわかった気になれました。
登場人物の一人である雄介については、螺旋プロジェクトという縛りがあるにせよ、雄介なりに考え、頑張り、迷い、踏ん張り、決断し、対応していたのかもしれないが・・・なかなか苦しい展開ですすんでいく終盤は、自分の心にもその苦しさがリンクしました。
雄介は勉強ができて、勝負にこだわり、アクティブで典型的な目立つ奴。そんな雄介の能力や性格の面では自分とほとんど共通点はありませんが、何がわからないのかわからない状態に近い、どこか息苦しいような感覚があることを読んでいて感じました。
ハッキリ言って、この感想文を書いている今もその息苦しさは存在しているなぁ。
さいごに
私は~~が生きがいです。とはっきりと、目が輝くほど言える人ってどれだけいるんだろうと思った。
自分がこの先、生きがいなんて見つけられるのだろうか?
いや、見つけないといけないものなのか?
っていうか、生きがいって何?どういうこと?
あぁ、こうやって気づかぬ間に何かの螺旋にぐるぐると巻き込まれて、悩み、苦しんでいくのかな。これが続くのかな。
てっきり"死にがい"は"生きがい"の逆張りで構えていたけど、そんな単純なものでもないですね。
今日もまた、自分は生きている。
今読んでいる本、感想予定の本など
『52ヘルツのクジラたち』『アリアドネの声』『俺ではない炎上』『正欲』『噂』『花屋さんが言うことには』『殺戮にいたる病』
※今後読みたいものも含む
過去の読書感想
11冊目 また、同じ夢を見ていた