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そのひと限り、そのとき限り。感情も、コンディションも。|『夜明けのすべて』 / 監督・三宅唱

鑑賞日:2024/02/22
劇場:TOHOシネマズ日本橋

映画を観て、その時に抱いた気持ちや考えを書き残しておく。気が向いたときに、自分の感情の記録として、自分のために行っていたその行為を、誰かのために残してみようと思った。閉じた場所で行っていた、その行為を開いてみようと思った。

「誰かが遺したものが、いつか意図しない形で、見知らぬ誰かの心を動かし、そこから生まれた行動が、また誰かの心をも動かしうる」

この映画を観て、そのことのかけがえのなさを感じ、自分だけの感情の記録を他者が触れられる場所に開いてみることにした。かといって読まれること自体を目的とはせず、これまで通り感情の記録として残してみようと思う。


フィクションという虚構だからこそ受け取れるもの、想像できること。


この映画の主人公2人のように、”自分では制御できない”、社会的にはみ出てしまいうるものを持った人をこんなにも優しく見守り、時に包み込んでくれる人がいる世界は、現時点では現実にはほとんど存在しないのかもしれない。

たまたま社長の栗田や元上司の辻本が”大事な誰かを失う”という心に傷を負う経験をしたから、そういう環境が育まれていたのかもしれない。現実的に考えると、事業内容的にも、社員の仕事への意欲からも栗田科学があのままこれから存続できるかもわからないし、きっと難しいだろう。だけれど、ああいう人たちがいる会社が、変化を強制されずに存在していられる社会であってほしい。そうあるためには、いまの社会には何が足りないのだろうか。何がそれを妨げているのだろうか。そんなことに考えが巡った。

何かの症状を抱えている人がいたとして、制御しコントロールしようとするのではなく、そのありようをリスペクトした上で付き合っていく。本人の意思とは関係なく、勝手にそうなってしまうものだから。また、その人を「その症状を持った人」と一般化して向き合うのではなく、「固有の人が、その症状を持っている」、そしてその状況は毎日毎時、時と場合によって移り変わる。あらゆる人の気持ちとコンディションと同じように。そんな心持ちで受け止める。そんな当たり前だけど、見落としてしまいがちなことをこの映画は教えてくれた。「夜明け前は最も暗く、でもみなに一様に訪れ、そして当たり前のように過ぎ去っていく」

過度に一般化するでもなく、固有化し過ぎるでもなく、面倒くさがらずにその時々に向き合う。忙しさや自身の余裕のなさに、そんなことは毎度毎度できないかもしれない。でも、少しずつ、一人一人がそのような心持ちとともに日々を過ごしていく。お互いを受け入れ、見守り、必要であれば手を差し伸べる。そうして「お互い様」が巡っていく。

そんな社会の非現実感さに対する悲観と、同時にそんな社会であってほしいという希望、両方の思いが交差する。フィクションだからこそ感じ取れた、そんな読後感。

遺したものが知らず知らずに、誰かの心を動かす


栗田科学の社長の弟は「人間は死ぬと、何も残らない」というようなことを、死後に残されたカセットテープの音声で語っていた。けれど、彼が遺したその音声に山添は心を動かされ、おそらくはやらされ仕事としてこなしていた原稿づくりに本気で打ち込み始める。新天地での仕事ぶりに心配を寄せていた元上司の辻本が、安堵で感極まってしまうほどにのめり込む対象を見つける。そのきっかけをくれた、社長の弟を社長とともに悼むシーンには心揺さぶられる。

そして、同じく遺されたノートに書かれたメモが、悩める藤澤の背中を押す。人前で何かを表現するという意思も自信もなかった彼女が、彼の言葉と自分の言葉を紡ぎながら、観衆を惹きつける、。

本人にはそんな意識も意図もなかったのかもしれないが、遺されたその人の生きた証が、いつか見知らぬ誰かにとってのかけがえのないものになる。誰しもにあり得ることではないのかもしれないが、もう少し、自分の感情や考えを記しておこうと思えた。それは自分を大切にすることのようにも思えた。


「難しい題材を難しく見せない」、配慮と表現力の絶妙なバランス


劇伴、手触り感のあるフィルム映像、画面構成、演技、すべてがささやかに、そしてさりげなくこの映画にふさわしい空気づくりを彩っていた。

エンディングをドラマティックにしていないところとあいまって、エンドロールがただただ平和で穏やかで、この映画に相応しい締めくくりだった。映画の世界と現実の合間にあるような。映画の余韻を感じつつ、いきなり現実に引き戻されない、優しさを感じるような。架空の世界から現実への橋渡しとして、映画の裏側(クレジット)が機能しているように感じた。

センシティブで難しいはずの題材が、押し付けがましくなく、腫れ物としても扱わず、また他人事にもならない、絶妙なバランス感覚で作られている。きっと裏側では、議論と様々な視点からの検証が幾度も行われたであろう。でもそんなことを微塵も漂わせない、いい意味で軽やかな映画だった。重たさを覚悟して鑑賞したものの、いい肩透かしを食らった。制作陣にただただ拍手を送りたい。

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