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「道化の華」太宰治 〜めくるめく太宰ワールド〜|読書感想文 #10

人間失格と同じく大庭葉蔵が主人公の作品。女性と入水して葉蔵だけが生き残り、その後の入院生活が描かれる。

実体験がベースにはなっているんだろうけど、どこまでが本当のことでどこからが創作なのかがわからない。(私の好きな「富嶽百景」も、最後写真を撮ってあげる場面はリアル太宰とは違うらしい)

時折挟まれる作者の考え(つぶやき?)も、色々なことを言っているけど、どこまでリアルで考えていることなのか、このつぶやきすらも作品の一部として、あえて作っているのではないかとも思えてくる。

「こんな小説だめだ」というようなつぶやきとか…

どこまでがリアルで、どこからがそうではないのか、そういうことを考えること自体が野暮なのかもしれない。
太宰ワールドのなかにぐるぐると引き込まれて、くらくらしていく感覚。めくるめく太宰ワールド。

それはそうとして、自分を慰めるために書いたのかな?とか思ったり、私の心に響く言葉もあったりして。

青年たちはいつでも本氣に議論をしない。お互ひに相手の神經へふれまいふれまいと最大限度の注意をしつつ、おのれの神經をも大切にかばつてゐる。むだな侮りを受けたくないのである。しかも、ひとたび傷つけば、相手を殺すかおのれが死ぬるか、きつとそこまで思ひつめる。だから、あらそひをいやがるのだ。彼等は、よい加減なごまかしの言葉を數多く知つてゐる。否といふ一言をさへ、十色くらゐにはなんなく使ひわけて見せるだらう。

彼等は、よく笑ふ。なんでもないことにでも大聲たてて笑ひこける。笑顏をつくることは、青年たちにとつて、息を吐き出すのと同じくらゐ容易である。いつの頃からそんな習性がつき始めたのであらう。笑はなければ損をする。笑ふべきどんな些細な對象をも見落すな。ああ、これこそ貪婪な美食主義のはかない片鱗ではなからうか。けれども悲しいことには、彼等は腹の底から笑へない。笑ひくづれながらも、おのれの姿勢を氣にしてゐる。彼等はまた、よくひとを笑はす。おのれを傷つけてまで、ひとを笑はせたがるのだ。

彼等の議論は、お互ひの思想を交換するよりは、その場の調子を居心地よくととのふるためになされる

いま書きながら思いました。
自分も「道化」として生きてきたんだなと。

それを悪いとは思わない。生きてくるための手段だったんだ。
これからは、偽りの笑顔ではなく「腹の底から」笑えるようになりたいな。



めくるめく太宰ワールドにくらくらしながら、真面目に読むのが馬鹿らしくなったけど、しっかり私の心に響いているのだから、何か悔しいな。

よし、仕事に行きます。

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