太宰治みたいに生きてみたい(マインド的に)
最近思うこと。
太宰治みたいなマインドで生きてみたい。
○円、貸してくださいませ とか
悪いようにはつかいません とか
たのみます とか
自分の状況を赤裸々に書いてだれかに頼ったり。
誰も遊びにこなくて寂しい とか
「このごろ、よく泣く」とか
「くやしいことがあって思いきり泣いた」とか
自分の感情に素直であるところとか。
私がイメージする太宰治が真の姿かはわからないけど、私のとにかく溜め込み・我慢気質と、太宰治のふらふら〜っとしたところを足して二で割ったら、だいぶ生きやすくなるんじゃないかと思う。
(太宰治が生きやすかったかどうかは別として)
足して二で割るまでいかずとも、3分の1くらい太宰治要素を採り入れたら何かが変わりそうな気がする。
そんなことを考えているということは、自分のこの生き方を変えていかんときついぜよということを感覚として感じているのだろう。
最近、アダルトチルドレンについて、このYouTubeを見て勉強している。
自分がアダルトチルドレンだと知ってから、最初に読んだのがこの方の本だったと思う。はっきりとしたものの言い方が、自分にはすごく合っていて、よく理解できた。
このYouTubeは今年の春から始められたそうで、最近、通勤時間に1本見るようにしたら、少しずつ、生活の中でも色々なことを意識できるようになった。
まずは自分を責めないこと。
私の厄介なところは、「自分を責めない」と決めてもうまくできないとき、自分を責めてしまった自分を責めること。こうして文字に書くと、おかしなことだなと思うけど、リアルにそうなる。
「決めたのにできなかった」
「あの人はこんなふうにしないだろうな」
すぐに結果が出ることを求めてしまうから、ゼロから100になりたがる。
今日も、「似合う服が欲しい」→「顔タイプ診断で似合う服のテイストはなんとなく頭でわかったけど探すの面倒」「土日はお店が混む」「お店の人に話しかけられるの嫌」「でもネットはサイズわからないから不安」「物は増やしたくない」「失敗したらお金の無駄になる」と、ずーっと動画を見ながらぐるぐる考えてしまった。
何かを得るためにはある程度時間がかかるし、すぐに望むものを手に入れられるわけではないはずなのに、私だけは失敗してはいけないと思っている。
そんな私を、認めてあげられる日もあれば、厳しく接してしまう日もあって、まだまだムラがある。今日はどうやら厳しく接してしまう日のようだ。
こんな日はどうしたらいいんだろう?
強制的に外に出て気分をごまかしたらいいのかな?
それも自分を無理矢理に動かすことになるんだろうか。
まだ対処法が見つかっていない。
・・・・
いつの間にか太宰治から話がそれてしまった。
太宰の手紙のようにうまく終わりを締めくくれないので、最近通勤時間に読んでいる本のリンクを貼って終わります。とてもとても面白いです。