生きる為に必要な余裕は人それぞれ。私は京都に適切な余裕を見つけた①〜移住のきっかけ〜 #みんなの移住
[#みんなの移住 国内移住・海外移住 Advent Calendar 2020]
https://adventar.org/calendars/5348
2日目の記事です。
私の移住体験記です。私は2019年2月2日に10年過ごした東京から離れて京都に家族で移り住みました。移住の理由は"適切な余裕"に生活を変えたかったからです。私にとって、家族にとって、京都で暮らす余裕はとても心地が良くてたまりません😁
※ この記事は東京を否定する意図はありませんが、対比構図で相対的に下げている様に読める場合があるかもしれません。その様に感じられる方は記事をそっと閉じていただくのが良いかと思います。個人ごとに状況や環境、生い立ちがあるので全ての方が移住が最適だとは考えていません。「umisoraにとっては良かった」「私にとってはどうだろう?」と読んでいただくのが良いかと思います。
さて、アドベントカレンダーが空きまくっているので複数回に渡って私の赤裸々な移住話を一人語りしていけたらと思います(笑)
今回は移住を決断するに至ったお話です。フルタイム夫婦で双子男児の子育てを通じて東京で過ごすことに疑問を持ち、未来を感じられず、楽しくない病み育児を続けている暗闇の中で、移住というチャンスを得たタイミングで引っ越した。というお話です。
略歴
私は関西の大学生として例にもれず、誰よりも成長するぞ!と意気込んで新卒で上京したよくいる平凡な若者でした。日本で最も情報が集まり、機会があり、お金が集まっている場所が東京でした。成長の機会として日本の中で最も優れている場所。そこに魅力を感じたのです。
私の両親は大阪・兵庫出身で、私も大阪北千里で幼少期を過ごし、小学校からは現在の実家である兵庫県三田市で育ちました。中学・高校・大学は越境通学で朝6時半の電車に乗って通学していました (今考えると最も通勤タフネスな期間でしたw) 親含めてバリバリの関西人です。
その後、2019年2月に京都に引っ越すまで約10年の間東京で過ごすことになります。前職で6.5年、今の仕事で5年(12月から6年目に突入します)です。来年には社会人13年目に突入します。
京都には2019年2月にマネーフォワード京都開発拠点の立ち上げ担当として赴任してまいりました。赴任はタイミングが良かったとも言えますが、私が東京そろそろ辛いなと思うタイミングでの話だったので率先して手を上げて推進し、オープンと共に地元の関西圏に帰ってきた。とまぁ、こんな人間でございます。
東京で生きることに疑問を持った契機
新卒うっきうきで上京した私はハードワークをものともせず6.5年働きました。幸いにも結婚出来たこともあり、仕事が一段落したタイミングで、職を変えて現職に移ったのです。そして数ヶ月後、双子の息子たちが生まれたのでした。それはそれは可愛い可愛い2人です (トップ画像参照)
しかし、それはもう...育児は大変でした…
初子にも関わらず双子で、圧倒的睡眠時間の不足、家事に手が回らない、こうゆうことは子供にしてあげるべき。みたいな良い子育て像との乖離に悩んだり…。
慣れてリズムができたと思ったら、新しいリズムが発生し。
そして訪れる保育園の0歳児入園。。。ここからが本当の…。
入園後、妻も復職し、夫婦フルタイムでの生活が始まります。私の方が時間的制約が緩い仕事で、妻の方は五十日毎に期日が厳しくある様な仕事でした。
4月末頃から入園後あるあるの、病気をもらってくる日々が始まります。
1人かかれば2人かかる。そして、同時には罹患しない…。
1度かかれば7日は治るまでかかる(営業日では5日)、同時には罹患しない…。
復調したと思っても、緊急の呼び出しで園に戻ったり朝起きたら熱が出ていて緊急でおやすみに切り替えたり。さらに喘息の発症 -> からの入院 × 4回 (それぞれ2回づつ)
5月から12月くらいまで私はこれらのイベントにかかりきりでした。
月の半分は出社できず、なんとか自宅から4時間程度の仕事をこなしたりするものの現状維持で精一杯。お給料をもらっているのが本当に申し訳なく
仕事という責任を果たせない想いがすごく辛かったです。
実家近くの有馬富士公園。2人同時抱っこしている写真
週末や、子供がお休みの日は公園に連れて行ってあげたりしなきゃ。となる訳ですがここは東京です。当時は高円寺に住んでいましたがバスも電車もベビーカーで乗るのは一苦労です。お出かけするにしても東京では出かけ先は大抵混んでいます。混雑まで加味して、授乳室やエレベーターマップ、行き先とにらめっこして時間毎の行動計画を作っていたりしました。
(冬の高円寺。つるつる滑る道をみんなで歩いたっけね)
それくらい事前計画をしておかないと、詰むんですよね。子供の昼も食えない、オムツ替えスペースもない、子供は泣き続ける、しかし移動先で子供が泣いていても匿える場所もない。家に帰るまでも遠い。子供の泣き声は全てにおいて周りの人に迷惑をかけていると思ってひどく恐縮する。心労がヤバい。そして親も不機嫌になり伴侶と喧嘩したり…。外に出たくない。辛い。
お出かけは基本的には双子ベビーカーで、抱っこひもすると、必ず大人が2人必要で。持ち出すベビーバッグの荷物も2倍です。東京は車の量も凄いので1人で元気ざかりの2人を見るのも危ないんです。24時間常に家族行動。
そんな激動な日々を通じて週末に「ここに連れて行ったら楽しんでもらえるかな」なんて気持ちは1つも湧かなくなるのでした。
そして週末は近隣の公園でだけ過ごす様になりました。
「あぁ子育てはなんて辛いんだろう。」
当時の私は確実に病んでいたと思います。
* 仕事の責任が果たせないやるせなさ
* 1人の時間は皆無
* 助けてくれる人は周りにあまりいない
* 義務感で外に出るが不機嫌で喧嘩になって帰ってくる
* 何もしたくない。どこも行きたくない。(仕事場が一番の安息地)
* 近くの公園しかいかなくなった。全てが消化試合の様な無気力さ
当の子ども達も朝8時には起こされて夜は19時すぎまで延長保育、寝るのは10時半。1歳、2歳にも関わらず毎日12時間近い外出は本当に大変だったと思います(涙)帰宅しても寝る準備とご飯だけで親と遊ぶ時間もなく。本当に苦労させました。
私はこんな子育て・家族運営をしたいわけじゃない!!
これが私の移住のきっかけとなる強い思いでした。
夫婦が精一杯負荷を引き受けても何故子供も負荷を引き受ける必要があるのでしょうか?
親が精一杯負荷を引き受けて夫婦が喧嘩ばかりになる必要はあるのでしょうか?
有限な時間を切り売りして仕事と育児だけで時間を使っていていいのでしょうか?
お金を稼いでもアウトソーシングにしか払ってなくて子供の為になるのでしょうか?
私は妻も子供も私も楽しく過ごす為に頑張っています。
頑張れば頑張る程苦しい現状は、何かがおかしい。
そう思った所で、人口密度の高い東京は離れたほうが良い。そして、実家のヘルプを頼める距離に移動した方が我が家にとってはいいのではないか。そう思う様になったのです。
元気な元気な1歳児の頃の抱きしめ合い
ちょうど、そんな事を考え始めた数カ月後。会社のチャットに京都拠点を開設しないか。みたいな話が上がったタイミングで「私が行きます」と手を上げて移住の話が進み始めるのでした。
〜 ①終わり 〜
少し心が重たい時期のお話でした。
次回からは移住してのハッピーな話や、キャリアの話を書いていきたいと思います!