知りたいと思うには全部違うと知ることだ
先日久しぶりに以前習い事をしていた時の友達に会った。
コロナだあーだこーだっていっているうちに2年くらいが経過してしまったのだけど、実際あってみたらあんまり久しぶりの感じもしなかった。
学校でもなく、会社でもなく出会った私たちは年も、育ってきた環境も全然共通点がなく、唯一の共通点はその習い事を場にいた、ということだった。
学校の同級生同士とか、会社の人とかだったらいくら違うといえど、なんとなく想像のつく範囲での違うが多いが、ここでの違うはもっと、大きく違うのだ。
この会わなかった間の話をそれぞれしたけれど、みんな違うそれぞれの悩みを抱えていた。
悩みを遡っていくと、自分が今いる環境にいたりとか、考え方の癖などは自分がどういう環境で育ってきたかということがかなり深く関係している気がして、
もっとさらに深く遡っていくと、この家に生まれていなかったら自分はそういう考え方をしていなかったかもしれないし、いまこう悩んでいなかったかもしれないのでは?ということに行きつくことに気がついた。
人と比べてもあまり意味がないよ。と言うけれど、それはもちろんのこと、最近はそれよりも自分がどうしてここに生まれたとかということを解明できたほうがいいのでは、と思うようになった。
そして全く関係のないような私達が、長く続くような友達になっているのも、すごいことだなとおもった。
せっかくなのであればこうやって、これからもずっと続くであろう関係性は大切にしないといけないなと思う。
将来その人達が本当に困ったときは何らかの手段で助けていこうと思うし、自分が困ったときにも助けてほしいと思う。
そして生きる環境がまったく違ったとしても同時に、私達が本当に幸せに生きていくために求めていることはこれまた一つのような気がした。
この感じ伝わるだろうか。笑
また来週もがんばりましょう!おやすみなさい~