老いて、病んで、生きる⑦
積極的な治療を止め「ホスピス」を選択するということが、場合によっては余命を縮めることにもつながる。
「ホスピス」に入院する人のほとんどが、そのまま退院することなく最期を迎える。
私たちは長女が、これらすべてを理解した上で「ホスピス」を自ら選択したのだと思っていた。
ところが長女は、入院して間もなく
「こんな所には、いつまでもいられないからね」
と言い出した。
「こんな所」にいられないなら一体、どこへ行くというのだろう。
合計しても数か月しか暮らしていないアパートの部屋に、戻りたいわけではないだろう。
長女がとても執着していた実家は、すでに取り壊されて、もう跡形もない。
どこか行きたい所があるの? と聞いても、そんな所はない、と言う。
話は常に、堂々巡りとなる。
面会の際、待ちかねたように医師から
「これからのことや、終末期についてのお話を進めたいのですが⋯⋯」
と相談された。
これから訪れる体の変化や、できなくなっていくことなど、あらかじめ話しておきたいことがいくつかあるので……と医師は言う。
痛みのコントロールや、苦痛緩和のための薬を使用する時期など、本人の意向に沿って進めたいことがあるのだろう。
けれども長女は、そんな話はしたくない、と頑なな態度らしい。
私はこれまで、「ホスピス」を選ぶということは、覚悟を持って自分の残された時間を受け入れることと同義だと思っていた。
ところが医師によると、必ずしもそうではないらしい。
たとえ当初はそうであったとしても、徐々に恐怖が募り、いつか病気が治って退院する日が来るのでは、と思いたがる人もいるそうだ。
中には、家族の意向だけで入院を決められ、自分が末期であることや、ここが「ホスピス」であることさえ知らされていない患者もいる。
しかもそんな例は、決して稀ではないらしい。
「これからのことを、ご家族とのご相談だけで決めるケースも多いですね⋯⋯」
医師は、小さくため息をついた。
「遠いのに大変でしょう。そんなにしょっちゅう、来なくていいのよ」
と長女は時に、私たちを気遣ったりもする。
自分の余命が、これほど短く予想されていることを、長女は知らない。
だから妹たちが足繫く面会に来る理由にも、思い至らないのかも知れない。
受け入れ難い嫌な現実から、目を背け続けて長女は、その時々の選択をしてきた。意志を持って選択したと言うよりは、流されてきたと言ったほうが近いかも知れない。
統合失調症も、精神病性うつ病も、それ自体が重篤な病ではあるけれど、現実逃避したいという思いが、そこへ拍車をかけたのではなかったか。
最期まで自分と向き合うことなく、長女は命を終えていくのだろうか⋯⋯。
私は毎週、どうすることもできない虚しさを抱えて帰路についた。
それから数か月の間、長女の容体は、医師の当初の予想を遥かに越えて安定していた。
長女の年齢が、「ホスピス」で最期を迎える人たちの平均と比べれば、とても若かったこと。
重篤な基礎疾患がなかったこと。
心臓や血管も、年齢相応に健康だったこと。
それらの要因が、命の瀬戸際で、容体の急激な悪化をくい止めているようだった。
私は毎週、律儀に、面会に通った。
何か欲しいものはある? と尋ねる私に大抵、長女は、何もない、と答える。
思えば私はこれまで、長女の好物すら知らなかった。
仕方がないので、名店の味や季節の御馳走など、あれこれ思いつくものを携えて面会に向かう。
手ぶらで訪ねることを、私はできるだけ避けたかった。短い時間と言えども会話に詰まり、何か物を介さないと間が持たないのだ。
私は、長女が、というよりは人間が、日々確実に衰えていく姿を見るのが辛かったのだと思う。
私自身もまた、見たくない現実から少しでも、目を背けたかったのかも知れない。
甥や姪に会いたくない? と尋ねると、長女は
「こんな状態を見られたくない。元気になってからでいい」
と答える。
長女の真意を量りかねて、私も次女も一瞬、言葉に詰まる。
まさか、もう元気になることはないんだよ、と言うわけにもいかない。
本当は、葬儀の希望や、棺に一緒に入れてほしい物、残される荷物の処分、お墓のことなど、本人の口から直接、聞きたいことがたくさんあった。
長女は20代で結婚したが、その後いろいろな事情があって、夫婦は別居することになった。
それから間もなく、離婚の協議をすることもないまま夫が亡くなった。
その際、長女は旧姓には戻さず、夫の姓のままで生きることを選択した。そして再婚することもなく、20年以上の年月を一人で過ごした。
そこには長女なりに、いろいろな思いがあったのだと思う。
けれどもその結果、亡くなった義兄と戸籍上は夫婦のままとなり、宗教上の疑問が生じることになった。
私たちの実家と長女の嫁ぎ先は、同じ仏教でも宗派が違う。無論、菩提寺も代々の墓も違う。
医師に勧められて、葬儀の段取りを相談していた私たちは、ふと困惑した。
長女は一体、どちらの宗派で弔えばいいのか。そしてお墓は?
私は、長女の嫁ぎ先の菩提寺を調べ、直接、問い合わせてみた。
するとすでに縁者は途絶えていて、義兄の遺骨は無縁墓に移されたという。
その事実を知って、私たちはようやく踏ん切りがついた。
長女は、実家の菩提寺の住職に弔ってもらおう。そして、父と母が眠る霊園に納骨しよう、と。
それからすぐに私は、グーグルマップを頼りに、長女のかつての嫁ぎ先の菩提寺を訪ねた。
朝から降り続いていた雨が、寺の山門に着く頃にはピタリと止んで、とてもきれいな虹が出ていた。
無縁墓に手を合わせて、私は心のうちで長年の不義理を詫びた。
夫婦にどんな事情があって離れることになったのか、本当のところは本人たちにしかわからない。
それでも私にとっては、生まれてはじめてお義兄さんと呼んだ人でもあった。
次の面会時
「お義兄さんのお墓にお参りしてきたよ」
と私は報告した。
「これまで一度も行ってなくて、気になってたからね」
私がそう言うと、長女はゆっくりとこちらへ目を向ける。
「もう誰も墓守りをする人がいないらしくて、無縁墓に移されていたよ」
長女は少しの間、ぼんやりと私の顔を見ていた。
そして小さな声で、振り絞るように、はっきりと
「⋯⋯ありがとう」
と口にした。
それから間もなく、長女の容体は急変した。