【小説】遠いみち⑨
昭和34年春――。
皇太子殿下と正田美智子さんのご成婚で、世の中が沸きかえっていたこの年の春、家業である『昭和創業』は、株式会社に移行した。
お義父さんが大きな借金を残して蒸発してしまった後、昭さんはコツコツとそれを返済しながら、地道に努力して事業を大きくしてきた。株式会社への移行は実に、七年越しの悲願だった。
『昭和創業』は実際には、昭さんが一から作り上げたような会社だったけれど、代表取締役社長にはお義父さんに就いてもらった。昭さんは専務取締役に、そして入社してまだ二年の治さんも、22歳の若さで取締役部長に就任した。正妻となった道子さんの強い要望に押し切られた形で、縁故ならではの大抜擢だった。
高校を出た後、会社で事務を執っていた花枝さんは、出入り業者の青年に自慢の美貌を見初められて、この春の結婚が決まった。
当初、昭さんは
「20歳で結婚は早過ぎる。まだ子どもじゃないか」
と反対していたけれど、お義父さんは
「花枝のような跳ねっ返りは、少しでも若いうちに嫁入りした方がいい」
と言って、あっさりと許された。
祝言の前の日、花枝さんは
「長い間、お世話になりました」
と涙ぐんで、昭さんに頭を下げた。
お義父さんは、戦時中は長く従軍し、戦後も何かと家を空けていた。だから花枝さんにとっては、父親代わりの昭さんが、大きな心の支えだったのだろう。
この兄妹の、血は繋がってなくとも確かにある深い絆を思って、私は胸が一杯になった。この人たちは、あの戦時中の不安な夜も、食糧難の日々も、お義母さんと三人で必死で生き抜いてきたのだ。
私がこの家に嫁いで来てから、あっという間に4年半の月日が流れた。
その間に、二人のかけがえのない命を授かったけれど、思いがけずにお義母さんは亡くなり、今また花枝さんも嫁いでいくこととなった。
千紗は3歳に、恵利は1歳半になり、毎日が、それはそれは慌ただしかった。花枝さんは、千紗のことも恵利のことも、とても可愛がってくれていたから、これまで私は安心して子守を任せて、その間に家事を済ませることができた。ところが花枝さんがお嫁に行ってしまうと、私は何をするにも常に、子どもたち二人に目を配らなければならなくなった。
口数が少なくて、どことなくおっとりしている千紗とは対照的に、恵利は片時もじっとしていない。立つのも歩くのも、言葉が出るのも早かった恵利は、とても癇癪持ちで、気に入らないことがあると
「いやぁぁぁの! いやぁぁぁの!」
と叫んでは、おもちゃを投げつけ、匙や茶わんをひっくり返した。
「もう、食べなくていい!」
と、昭さんは苛々して、つい厳しく叱る。
そうすると恵利は火がついたように泣き喚き、とても手がつけられなくなる。そのうちに、つられて千紗まで泣き出す。私も一緒になって、泣き出したい気分になった。
昭さんは会社で、古参の社員さんたちと、お義父さん、治さんとの間で板挟みになっているようだった。
社員さんの中には、七年前のお義父さんの不義理を覚えている人もいたし、治さんよりもずっと仕事ができるのに、出世を阻まれた人もいる。
お義父さんはまた、頼まれると断ることができずに、甥や姪を次々と雇い入れてしまわれた。
同族会社であることのしがらみの、何もかもが昭さんにのしかかっていた。昭さんは、明らかに疲れた顔をして帰ってきたり、深酒をする機会が目に見えて増えていった。
暑かった夏もようやく終わりが見えはじめた頃、私は、三人目の子どもを妊娠した。
「次こそは! 今度こそは!」と言われ続けて、何だか私自身も、ぜひとも男児を生まなければならないような気分になっていた。
ところがどういう訳か、今度の妊娠は悪阻が酷く、私は起き上がれない日が続いた。子どもたちには、まだまだ手がかかる。進んで子守をしてくれた花枝さんも、もういない。
賄い婦のしげさんは、快く手伝いを引き受けてくれたけれど、丁度しげさんのところの娘さんにも子どもが生まれたばかりらしく、そちらの家とこちらとの掛け持ちとなってしまった。
悪阻特有の、胃がムカムカしたり頭痛が酷かったりする上に、近頃は、ゴホンゴホンと痰の絡まったような嫌な咳が出て、喉がヒューヒューと鳴ることがある。息をするのが苦しく、立って動くのも辛くて、足元が覚束ずにフラフラする。
あまり酷く咳き込むと、お腹の子に障るんじゃないかと気が気じゃない。
往診してくれたお医者さまは
「これは気管支だね。気管支喘息だ」
と眉をひそめられた。そして
「お腹に子がいるうちは、薬を使えないからね。できるだけ安静にするしかないでしょう」
と、金盥で手を消毒しながら言われた。
三歳の千紗と二歳の恵利の世話、そして毎日の家事。私は一体どうやって、安静にしたらいいのだろう。
もう少し、もう少し、と無理をして、とうとういけなくなって寝込んでしまう。すると途端に恵利の、火の付いたような泣き叫ぶ声で起こされる。私はまた無理をして、鉛みたいに重い体を引きずるように起き上がる。
深夜に帰宅する昭さんの、疲れ切った険しい表情を見ていると、私はとても、自分の体が辛い、などとは言い出せなかった。
何度目かの台風が近づいていて、生暖かい風の吹く日だった。
朝はまだ動けたのに昼を過ぎてから、私の具合は一気にいけなくなった。
喉がヒューヒューと鳴る。息を吸っても吸っても、胸に空気が入ってこない。まるで水の中に落ちた時のように、苦しくて苦しくて、物が言えない。
そうするうちに恵利の泣き喚く声が段々、遠ざかる。千紗が「お母さん、お母さん」と、私の腕を揺すっている。
私は、一際大きく咳き込んだ。何度も何度も咳き込んだ。肩で息をして、咳をしても、咳をしても、一向に止まらない。
息が吸えない。どうやっても息が吸えない。気が遠くなる。
⋯⋯駄目だ。起きて、恵利の様子を見に行かなくちゃ⋯⋯千紗はどうしたんだろう。さっきまで側にいたはず⋯⋯お母さん、お母さんて、私を揺すっていたのに⋯⋯あぁ、お夕飯の支度を⋯⋯。
頭がぐるぐるして、どんどん気が遠くなる。苦しい。息が吸えない。苦しい、苦しい⋯⋯。
――やがてゆっくりと、目の前の壁が、ちゃぶ台が、天井が歪んで、色を、輪郭を失くしていった。
赤ん坊は、駄目だった。
来年の春には生まれるはずの命だった。死んで取り出された赤ん坊は、もう手も足も、ちゃんと揃った男の子だった。