さよなら、キムタク。
京都アニメーション放火殺人事件の裁判が続いている。
被告人は、事件を起こした動機を「応募した小説がパクられた」からだと供述し、それは「闇の人物=ナンバーツー」によって仕組まれたのだと語る。
語られている内容だけを見れば、それはもう何らかの精神疾患や被害妄想があるのでは、と強く疑わざるを得ない。
公的機関や権力者から狙われ、攻撃されていると思い込む被害妄想は、「テレビのニュースで自分のことを言っていた」「インターネットに自分のことが書かれている」と自分に関係づけする関係妄想や、「盗撮されている」「盗聴されている」など、自分が監視されていると思い込む注察妄想を伴うことが多い。
これらに対して、自分自身や、自分に関することを過小評価したり、否定的な価値づけをする微小妄想という症例がある。これは、うつ病などの疾患で特に認められるそうだ。
また「取り返しのつかない罪を犯してしまった」などの強い罪悪感を持ち、自分を責める罪業妄想という症例もあるらしい。
一連の報道を追ううちに、私はたまたま、これらの医学用語を知った。
ある時、私はふと、自分の中にも、この微小妄想や罪業妄想が潜んでいるのではないか、と気づいた。
以前から私には「誰からも関心を持たれていない」という漠然とした、根拠のない思い込みがあった。それはどこか、自分が透明人間になったような感覚で、他者から私は見えていない、知られていない、興味を持たれていない……というのが前提にある。
そういう訳で私はいつも一方的に見る側であり、関心を寄せる側であった。
私は、ジャニーズタレントにさほど詳しくはないけれど、それでも国民的人気を誇ったSMAPや嵐、TOKIOなどは人並みに知っていて、彼らの出演するテレビ番組を楽しく見てきた。
中でも二十歳の頃のキムタクの、その圧倒的な美しさには、同世代の多くの女性たち同様に心を奪われ、SMAPの一員として歌って踊る姿や、主演するドラマを欠かさず見てきた。
ジャニーズに属するタレントは誰も皆、地元では決してお目にかかれない美貌だ。彫刻のような引き締まったボディラインを維持し、歌やダンスや芝居に次々と挑戦するため、きっと本人たちは毎日、過酷な努力を続けている。
幅広い年齢層(の主に女性)から支持され、愛されることが義務づけられた国民の愛玩タレント。彼らには、人並みの恋愛も、結婚も許されない。
そんなふうに愛玩市場に並べられるのは、これまでは若い女性に限定されてきた。一方的に美を競わされ、選別され、売買された揚げ句、やがて二十代半ばを過ぎると途端に商品価値を失う。
それを、そっくりそのまま男女が反転し、少年から青年期の男性を、少女から中高年までの女性が嬌声をあげ、品定めするという点において、ジャニーズの存在は稀有で、また歪な形ではあるけれど性の平等の体現でもあった。
中には「純粋に彼らの楽曲が好きなのだ」という人も、「彼らの人柄を愛している」という人もいるだろう。
けれども私は全然、そのような熱心なファンではなかった。ライブに出かけたことも、CDを買ったこともない。あくまでもテレビの中の存在として、軽薄に恋していたにすぎない。
私は常に一方的に見る側で、彼らのことは無責任に消費する娯楽であった。
最近、年齢を重ねてから、家族の話題を解禁したり、恋愛要素のない鬼教官を熱演したりしている等身大の木村拓哉に、私はちっともときめかないことに気づいた。
私があの頃、夢中になっていたのは、木村拓哉という一人の人間ではなく、永遠のアイドルである「キムタク」という作られた虚像だったのだ。
ジャニーズの噂については、もちろん私も知っていた。
暴露本や裁判の動向から、冤罪だとは到底、思えなかったけれど、どこかバイアスのかかった思考で、「社長はもう老齢だし、それらは遠い過去の過ちなのだろう」と都合よく解釈していたのだと思う。
私は、世の中の多くの人たちと同様に、深く考えることさえしなかった。
前述の被告人は、当初は京都アニメーションの、優れたアニメ作品に感動して生きる希望を見出したのだという。それは、恵まれなかった幼少期を経て、一人の人間が自立していくために大切なプロセスだった。
ところがいつしか、「小説をパクられ」「陥れられ」ていると思い込み、憎悪と殺意を募らせていった。
病状を悪化させ、過度に妄想を深めていく身寄りのない青年を、適切に導ける社会的な仕組みがこの国には、十分にあるとは言えない。
この被害妄想と、私の思い当たった微小妄想や罪業妄想とは、真逆のように見えて本当はとても近い。自己否定や罪の意識は、いとも容易く他者否定や憎悪へとすり替わる。
そしてまた、傍観者はいつだって無実とは言えない。虚像のアイドルに日々の無聊を慰めて、大量に次々と消費してきたその裏側で、犯罪行為は繰り返されてきた。
見せかけの豊かさの陰で、私たちは何を得て、何を失ってきたのだろう。
……おっと。
うっかりすると私はまた、微小妄想や罪業妄想に囚われそうになっている。
才能ある一人一人の人生が、どうか輝いて成長していけますように。
祈りを込めて。