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『渾身一句』に参加します
こちらの企画に参加します。
よろしくお願いいたします。
空蝉のさまにスカート脱ぎ捨てる
うつせみのさまにすかーとぬぎすてる
季語 空蝉(晩夏)
二十代の頃、一度だけ句会に誘われたことがあった。
俳句なんて、高校の授業で渋々捻り出した記憶しかない。
「大丈夫、大丈夫」
「怖い先生とかもいないし」
「みんな優しいよ」
……甘い言葉に乗せられて、ノコノコと会場へ。
するとどう見ても、平均年齢六十歳は下らない、紳士淑女がズラリ。私は恐る恐る、持参した三句を提出した。
その中で唯一、俳句の体をなしていたのが、この表題句だ。
当時私は、うつ病の入り口に立っていた。そしてそのことを、誰にも言えずにいた。
そんな体調なら断ればいいものを、取引先の顔色を伺い、仕事の受注への打算もあって、私には断り切れなかった。
ことさらに暑い夏だった。
街路樹の幹に掴まったり、アスファルトの上に転がっている無数の蝉の脱け殻は、死の象徴にしか思えず、私はいつも目を背けて歩いた。
耳をつんざく蝉時雨はまるで、断末魔の叫びのようだ。神経質なクラクションや、街の喧騒と相まって頭がクラクラする。
私はいつも酷く疲れていた。
帰るとすぐに、外出着を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。街の、店の、仕事相手の何もかもを、一刻も早く洗い流してしまいたかったのだ。
部屋に帰ってすぐに脱ぎ捨てるスカートは、まさに私の脱け殻だ。
あるいは私の、うわべだけの愛想笑いや、男性優位社会への諦念や、悔し涙や何やかやの集合体だ。
脱け殻を残して華麗に飛び立っていく蝉のように、私もまた飛翔したかったのかも知れない。
高校以来、はじめて詠んだその句には、当時の私の等身大の姿があった。
もがいて、もがいて、何とか飛翔を試みようと足掻く、切実な思いがあった。
句会はつつがなく終わった。
「素質がありますよ」
「すぐに上達しますよ」
「次回もまた参加してくださいね」
優しい言葉をかけてもらえたが、この句があまりにも未熟であることも、込めた思いがうまく伝わらなかったことも、私は知っていた。
この後、私が句会に参加することは、二度となかった。
崖を転がり落ちるように、私のうつ病はどんどん悪化し、俳句はおろか、日常生活すらままならなくなっていったからだ。
俳句とは無縁な暮らしをしてきた私が、noteで再び俳句に向き合うことになる。
白杯の募集を知った時、私は遠い昔の一句を思い出した。
季節が違ったので投句はしなかったけれど、あの夏の、渋々ではあったけれども俳句に向き合い、一生懸命に考えた経験がなければ、きっと白杯には応募していない。
そういう訳で、私の原点としてこの句を『渾身一句』としたい。
『私の代表句』は、今もまだ詠めていない。
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