見出し画像

1989年の中森明菜の鎖骨

「中森明菜スペシャル・ライブ1989 リマスター版」が、テレビで放映された。これは、1989年4月にデビュー8周年を記念して行われた、中森明菜伝説のコンサートを収録したものだ。

1989年と言えば、平成がはじまった年。はじめての消費税が施行され、村上春樹の「ノルウェイの森」が大ヒットし、手塚治虫、美空ひばりが亡くなった年でもある。バブル景気は、まさにピークを迎えていた。

私は、自分と同世代の「明菜ちゃん」のことが大好きで、当時、ヒット曲のほとんどを歌えるほどの大ファンだった。

ところが久しぶりにテレビ画面で、イントロと共にステージに登場した彼女を目にした時、私は思わずギョッとした。
明菜ちゃんが細すぎるのだ。
今なら摂食障害を疑うような、ガリガリと言っていいほどの手足の細さ。頬がこけていて、ステージ衣装の大きく開いた胸元は、骨が浮き出て窪んだ鎖骨が痛々しい。

テレビ全盛期の歌番組を通して、こんな映像を何度も見ていたはずなのに、私は当時、特に違和感を感じたことがなかった。
ただただ明菜ちゃんの、その細さも含めた美しさ、かわいらしさに憧れ、歌やダンスのクォリティの高さに魅了されていた。


遠い昔、私が通っていた地方の中学校では、無意味な校則がたくさん決められていた。

・前髪は眉毛にかかってはいけない。
・髪を括るゴムの色は黒でなければならない。
・ソックスは白無地でなければならない。
・制服のスカート丈は膝下10センチ。

校内暴力が増えはじめた時代背景もあったのだろう。高校受験の内申書を盾に、教師たちは厳しく取り締まった。
野暮ったくて垢抜けない、そっくりな格好をさせられて、中学生だった私たちはずっと不満をためていた。その反動もあってか女の子たちは、高校進学とともに途端におしゃれに目覚めはじめる。


学校帰りにおしゃれして、繁華街へ出かける。年齢をごまかしてディスコやカフェバーに出入りし、甘くて口当たりのいいお酒を注文した。

いわゆる普通の17歳だわ
女の子のこと 知らなすぎるの あなた
早熟なのは 仕方ないけど
似たようなこと 誰でもしているのよ

少女A

高校生だった私は、自分が無力であることに腹を立てていた。
思えば私は、家庭でも、学校内のヒエラルキーでも、いつも弱者だった。そうして弱者であることを悔しく思うくせに、そこから逃げ出すことも、ましてや闘うことも最初から諦めてしまっていた。


高校最後の春休み、アルバイト先で出会った歳上の男性に、私は夢中になった。
彼は、今でいうところのフリーターで、不定期にアルバイトをしながら、小説や詩を発表したり、抽象画やイラストを描いたりしていた。
とても博識だった彼は、哲学や宗教学、民俗学に詳しかった。無知だった私は、ニーチェやカントを語る歳上の彼に、すっかりのぼせ上がってしまったのだ。

作品は、時には買い手がついたようだった。
けれども、買ってくれたお金持ちのマダムたちが、どこまで純粋に作品を評価していたのかはわからない。
美少年というわけではなかったけれど、彼にはどこか影があって、女性を惹きつける独特の雰囲気が漂っていた。



今から思えばそれなりに、才能のある人だったのかもしれない。そして努力家でもあったのだと思う。
けれども彼には、いつもいつも複数の女性の影があった。そうしてそれを隠そうともしない人だった。
私にとっては最愛の人であっても、彼にとって私は、決してそうではない。歪な関係を受け止めるには、二十歳の私はあまりに幼く、純粋すぎた。

私からサヨナラしなければ 
この恋は 終わらないのね
ズルい人 大人のやりかたね
ため息ひとつ またわなかける
ときめきが心に目隠しする
これ以上進んだら自信がないわ
戻りたい 戻れない 心うらはら
とまどいはもう愛ね ……そろそろ禁区

禁区

私は、美しくなりたかった。
彼が目を見張るような、美貌が欲しかった。
たくさんの中の一人ではなくて、たった一人の、彼の恋人になりたかった。
髪を腰まで伸ばして流行りのメイクをし、ボディコンシャスなワンピースと9センチのハイヒールで、文字通り背伸びする。

細ければ細いほど美しいのだと信じていた私の体重は、気付けば38キロまで落ちていた。
痩せた自分を鏡に映して、私はとても満足だった。細い腰と真っ直ぐな足、水が溜まりそうな鎖骨。不健康な青白い顔に、真っ赤なルージュを引いて、私は得意気に街を歩いた。



けれどももちろん、そんなことで、彼の心を繋ぎ止めることはできなかった。もっと美しい女性も、もっと痩せた女性も、彼の周りにはいくらでも現れたから。
そうして、恋とも呼べないような日々は、呆気なく終わった。

たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら 
目の前に違う愛が 見えてくるかもしれないと
そんな強がりを 言ってみせるのは あなたを忘れるため
寂しすぎて 壊れそうなの 私は愛の難破船

たかが恋人を なくしただけで
何もかもが消えたわ
ひとりぼっち 誰もいない 私は愛の難破船

難破船

ライブ映像の中で、歌いながら涙をこぼす明菜ちゃんを、カメラは執拗にアップで撮り続ける。
笑顔で歌い、踊り、ステージを跳ねていた彼女が、恋人の近藤真彦のマンションで自殺未遂を図ったのは、この三か月後のことだ。

その事実を知っている今の私が見ると、映像の中の彼女の歌も、ダンスも、何もかもが、痛々しい自傷行為のようにしか見えない。
近藤真彦という男性が、後に報道されたような人柄だとするなら、5年付き合ったところで真心は得られなかっただろう。自分本位な彼は、家族や仕事のしがらみや辛さから救ってくれる、白馬の王子ではあり得なかったのだろう。


あれから33年が経った今、どこからどう見ても痩せているとは形容されない私は、むしろ自分の子どもを見るように、映像の中の彼女を見てしまう。

私は、人生の長い時間を、誰かのために生きて来た。
恋愛という名のもとに、そうとは気付かずに自分を他者に明け渡し、気に入られるように、選んでもらえるように生きてきた。

不健康な痩せ願望、相手に振り回される、都合がいいだけの女。
そんなものから脱却するために私は、いくつもの痛い目に合わねばならなかった。

それもまた、今は遠い、昔の話である。

この記事が参加している募集

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。