読書|銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜/宮沢賢治

※いつもより引用が多く、物語の最後がわかるようなことも書いてます。

杉井ギサブロー監督の映画『銀河鉄道の夜』を観たことはありますか?

私はこの作品が好きで、小さな頃に何度も何度も観てました。願わくば映画館で観てみたい。数年前、家の近くの映画館で1回だけ限定上映のようなものをやっていましたが、気がついた時には満席でした。
観れなくて残念な気持ちと、割とすぐに満席になっていたので作品の注目度に驚きと嬉しさと、どんな客層なのだろうと興味を持ったことを覚えてます。
私の中では小さい頃から大好きなアニメーション映画ですが、自分の周りでこの映画を話題に出している人は見た事がありませんでした。
上映も生まれる前なので、どんな反響だったのかも知りません。

原作である宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』自体はもちろん有名ですが、それがアニメーション映画になっていることを知っていたり、観たことがある人は少ないのかなと勝手ながら思っていました。(とても素敵な映画作品なので観て欲しい🐈)
なので、限定上映ですぐ満席になったことが嬉しいし驚いてました。

さて、こんなに大好きなアニメーション映画と言っておきながら、私は内容を全く理解せず、何度も繰り返し『銀河鉄道の夜』を観ていました。

思い出す限りで、内容にどんな意味が込められているのかを両親に聞いた記憶もありません。
ただ本能的に好きな映像だったのだと思います。

ここでは割愛しますが、特に小さい頃に好んだ映画や絵本にそういったものが多く(とても好きだが内容の意味はまるでわからない)、この作品もその中の1つです。

大人になったいま、そう言えば読んでない原作を読んで、内容と向き合おうと私は角川文庫の『銀河鉄道の夜』を手に取りました。

角川文庫の『銀河鉄道の夜』には、「銀河鉄道の夜」にたどり着くまでに7編が収録されています。

いざ読み始めると、文字を追いながら杉井ギサブロー監督の『銀河鉄道の夜』の映像がワッと流れてきて、そのおかげで場面をよく想像できている気がする…。というのが素直な感想です。

「銀河鉄道の夜」を読む前の7編もそうでしたが、宮沢賢治の世界観は好きな気がするのに、呻きたくなる難解さがあって、呻きながらも「ああ、ここ好きだなぁ」と思いながら読むのがずっと続く感じでした。

私は「銀河鉄道の夜」に関しては、どうしたって映像が先なので、文字が最初でも同じ箇所が好きだったかというと微妙です。というのも私が好きな箇所は文字にすると目立たない箇所な気がします。

六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱をもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来ました。その人は黙ってそれを受け取って微かにうなずきました。

p.155

それから元気よく口笛を吹きながらパン屋へ寄ってパンの塊を一つと角砂糖を一袋買いますと一目散に走りだしました。

p.156

どちらもジョバンニの日常パートです。私はこの場面が何だかすごく好きです。子供ながらにジョバンニの自立した姿を感じとり憧れていたのかもしれません。

「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。

p.184

この箇所は文字として読んでも、すごく好きです。
映像でみてもとても神秘的で好きな場面でした。今でも映像を思い出すだけで口の中が甘くなります。

「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひき姉妹たちは互いにえりや肩を直してやってだんだん向うの出口の方へ歩き出しました。

p.217

「銀河鉄道の夜」のある部分はタイタニック号の話だというのを、どこでかは覚えていませんが、聞いたことがあります。その時、あの映像はタイタニック号のことだったのかと納得しました。
突然出てくる船や海のうねりは当時の私には理解が追いつかず、よくわかってなかったと思います。ただ、そこで乗り込んできた人達が下車する様を何だか美しく感じてました。

みんなもじっと河を見ていました。誰も一言も物を云う人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足ががふるえました。

p.223

この表現は映画にあったのかな。大好きではあるけれど、実はもう何年も映画の『銀河鉄道の夜』を観ていない状態でこれを書いてます。いま観たら感じとれるのだろうか。
繰り返し映画を観ていた頃は感じとれなかった部分です。
もう少し読み進めると、ジョバンニは皆んなは何も知らず河を見てるけど、自分はカムパネルラがどこに行ったか知っている。ということに興奮を覚えていることが読みとれます。
とても無邪気で残酷な箇所だなと思いました。

でも、そうなのかも知れない。あんなに不思議な体験をして、カムパネルラが何処に行ったのか知っているのはここでは自分しかいないと知ったら、カムパネルラと会えない寂しさより先に興奮がくるのかも。私としてはちょっと複雑だけど。

「銀河鉄道の夜」は未完ということなので、この後にジョバンニはカムパネルラに思いを馳せたりしたのかな。それとも、もっとずっと先の思考までいくのか。

いつかまた、映画も観たいし、この原作ももう一度読みたいです。

宮沢賢治作品はまだまだ読んでないものも沢山あるので、それも少しずつ読みたいな。


またね

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