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泣いた作品って確かな手すりになる本のことだそんな5冊(+2冊)


 おはようございます。こんにちは。こんばんは。小萩です。
 毎週日曜に開いているうみのふね、ネットの海をただよって今日はこの海岸に辿り着きました。どうもどうも。
 30のお題に沿って本を紹介していっておりますが、一個飛ばしたり自分のやりやすいように改変したりしてそれもなんだかんだ15個目に辿り着き、これで半分かあと長いような短いような気分にもなっています。始めた頃から分かっていましたが年を越すので、終わりが近付いてきたらこのうみのふねの方向性についても改めて考えたいところではあります。が、今はまずお題を。

 今日のテーマは「過去最高に泣いた作品」。
 なんですが過去最高ってなるといの一番に浮かぶのは「青空のむこう/アレックスシアラー」で、それってこないだの小学生の時好きだった作品ともろかぶりだなあとなったので、泣いた作品にします。みなさん、泣きますか。私は子供の頃より大人になってからの方が何故か軽率に泣いてしまうようになった気がしています。最近読んだ本が中心にはなりますが、涙が溢れたな~というものをつれてきました。既にnoteで話題に出たこともある本も入っていますが、気付いた方はありがとうございます、見逃してください。


 西の魔女が死んだ/梨木香歩
 付け加える言葉をどれだけ並べても聞き覚えがありそうなほどに鉄板、ではありますが。学校に行けなくなったまいとおばあちゃんの日々のやりとり、まいが優しく成長していくさまが読んでて心地が良く、そうであるがゆえに最後のくだりには涙を禁じ得ない。何度読んでもほんとうに良い。永遠の名作。愛蔵版ともいえる作品集、美しい深緑の装丁の単行本をここではお勧めしたい。本棚にしまってあるだけでも力を与えてくれているようにすら思う。ふと苦しいときに手に取りたくなる本。


 夢をかなえるゾウ/水野敬也
 自己啓発系、ではあるのですが。このシリーズがなんで泣けるのかを考えた時(最新刊以外読了済みですが、無印が一番濃厚で好きです)、人生賛歌だからなのかなあ、と思います。ガネーシャが主人公を通じて夢を叶えるため、であり人生を気持ちよく生きていくための教訓を並べていき、でも人生夢を叶えるばかりが正しいわけではないで、でもきみにはいろんな可能性があるんやで、人生っておもろいんやで夢を持っていこうや、行動や、と自分にまで言ってくれてるみたいで初めて読んだ時はすごい励まされて号泣してしまい、今でも行く道に迷ったときに読み返しては背筋を正します。まずは靴を磨こう、トイレをきれいにしよう、みたいな。人生、後悔したくないな。


 鈍感な世界に生きる敏感な人たち/イルセ・サン
 HSPは今でもトレンドですが、もしかして自分もそうなんじゃないだろうかと思っていくつか読み漁った中でけっこうしっくりきたのがこの本と「過敏で傷つきやすい人たち HSPの真実と克服への道/岡田尊司」でした。後者は精神科医が書いており理論的にHSPを追いかけており、病気ではないため診断をくだすわけでもない曖昧といってしまえばとても曖昧なHSPという概念について深く考えられます。一方前者はもっと精神論で、世の中には圧倒的に精神的な本が溢れておりもはや飽和していますが、この本には何故か途轍もなく助けられました。「すべき」から「だったらいいのに」へ、だとか。自分で言うのも気持ち悪いですが、過敏であるということは感受性が高いということでHSPは嘆くものではなく利点が多く私達はその敏感を楽しもう、という姿勢であるとかは救いでしかなく。まあ、それは他の本でも言われてるんですが、なんでしょうね、イルセ・サンの言葉は個人に寄り添おうという雰囲気があって好きです。文章を書く、というのもHSPとして生まれる喜びを獲得するための一つの手段です。パーティだとか日本向けでない文化についても触れられているので全てが全て参考になるわけではありませんが。最後の付録の「HSPのためのアイデアリスト」は簡単に見返すのに役立ちます。これを読んだ時。けっこう、特に耳に関して生活に支障が出ていましたし、精神的にもしんどい時期だったので救われました。優しく寄り添ってくれる文章と表紙のコップの水を写した装丁も良いです。


 君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた/若松英輔
 うみのふねでもがっつり取り上げたことがあるので、今読み返すとなんだか要点が掴みづらいというかかなり読みづらい文章ではあるのですが、詳細はこちらで。
 若松さんの手紙調で書かれた文は、とかく優しい。これを読んで私は亡くなった人たちのことを思い出し、そして自分の生きてきたことについて静かに励まされたようで、最後の方は声も無く涙が伝っていました。若松さんの本で初めて読んだもので、言葉を書くということの重要性について深く考えさせられた本でもありますし、それは後に読んだ「悲しみの秘儀」でもそうで、表現の肯定、これからもずっと書いて、書いて、内側にねむっている言葉にならないことばを探しに行こう、という指針になりつつある方です。読み手としても書き手としても尊敬しております。


 せいいっぱいの悪口/堀静香
 エッセイ集。その中でも「はみだしながら生きてゆく」があまりにも共感しすぎて、昔からずっと抱いていた苦しみを言葉にされているのが衝撃的すぎて、共鳴のあまり涙、という感じでした。
 一度はみだしてしまったら、もうこの世界には戻ってこれないとわかっていても、でもどうしても、ホームの先頭に立って、ぼうっとしてしまう。台所で包丁を握る手に、ぐっと力が入ってしまう。
 この部分がほんとう、ほんとう、そうで。わかりすぎて。はみだしては戻れない、それがわかっているからはみださないように堪えている。でも、ほんとうにはみだしたらどうなるか、を考える。生きていると絶望するけど同時に当たり前に平凡を生きていてそれは希望で、その抱えている絶望は誰しもが抱いていることでもあるということでひとりじゃないと言われたようなそういったことがすとんと救いになったエッセイでした。どこかに同じことを考えている人がいるということ、それは非常に内なる世界で言葉にして共感を求めるべきことではないとしても、人から驚かれることであっても、それだけで救いだ。


 他、「猫を抱いて象と泳ぐ/小川洋子」とか「ザリガニの鳴くところ/ディーリア・オーエンズ」とかが私の机の上で泣いた本として揃っていますが、ちょっと文章にしていくのがしんどくなってきたので(泣くということは心がそれなりに震えたということで、それを思い返すにはそれなりの力が必要らしい)ここらで終えます。この二冊もめちゃくちゃ良い小説です。
 たぶん、これからも泣く本には出会っていくし、思い出せないだけで泣いた本とか、今読んだら涙が出る本だとかいろいろあると思うけれど、そのたびに自分にとっての大切にしたい本は増えて、そのぶんだけ苦しくなったときに手すりとなってくれるのだと思う。泣いた本って、それだけ心が動いたりほどかれたりしたということで、そうした言葉に出会ったということで、つまり時に絶望的になったりする人生の手すりになってくれる本だ、きっと。
 泣くというタイミングも琴線も人によってそれぞれなので果たしてこれらの本が誰かにとっても泣く本なのかは分かりませんが、いずれも良作であることは間違いないんじゃないかな、と思っております。好みはあれど。特にイルセ・サンは好みが分かれるかもしれませんが……。私は非常に救われて今も支えてくれている本なので。生きづらさと向き合う時、一つのしるべとなる本。
 ちなみに本ではありませんがここ最近で一年分くらい泣いたのが「ミッドナイトスワン」という映画です。こちらもぜひぜひ、よろしゅう(誰目線)。

 それでは、来週のお題は「過去最高に余韻に浸れた作品」です。また過去最高か!!難しいぞ!!年齢によって感受性も異なるし、一冊なんてそう易々と選べないんだ!!
 なのでまた何作か挙げることになるかもしれませんし一作品だけかもしれませんしそれはわからないけれど、よろしければ来週も立ち寄っていただければ幸いです。何かのご縁があれば、来週もお会いしましょう。

たいへん喜びます!本を読んで文にします。