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司馬遼太郎『竜馬がゆく』《砂に埋めた書架から》31冊目
日本の幕末を駆け抜けた若者、坂本龍馬は、今でも日本人の間で抜群の人気を誇る。
後世に伝わる彼の人柄や、型破りな行動力、そして、当時の日本人の誰もが持ち得なかった世界的な広い視野は、龍馬が多くの人々を魅了するその根拠となっている。
坂本龍馬は土佐高知城下に身を置く、郷士(ごうし)と呼ばれる下級武士の出である。
戦ともなれば、いっとう先に戦場に駆り出され、雨の日は、家中の侍のように足駄を履くことも許されず、裸足で歩かなければならない身分である。龍馬はさらに、その土佐藩を脱藩し、浪人に成り下がるのだ。
その若者が、大政奉還という大事業を推し進め、血を一滴も流すことなく成功させるまでに至る経緯は、明治維新という日本の歴史における革命的な出来事の中で、燦然たる光芒を放っている。
もちろん、『竜馬がゆく』は、がちがちの歴史小説ではない。難解で読みにくい古い文献を読まされるような堅苦しさは、この『竜馬がゆく』には無縁である。ときどき、歴史的な事実を示した文献も挿入されるが、それはあの時代の空気を肌で感じるための、裏付けとも言える役割を果たすものだ。
司馬遼太郎のよどみない筆致は、竜馬の行動そのもののように、躍動感を物語に与えている。本当に見事なまでに。
龍馬にまつわるたくさんのエピソードは、まるで自分だけが知る龍馬の秘密のように思えるほど、親しみのあるものだ。(例えば、龍馬とその妻おりょうは、日本で最初に新婚旅行をした夫婦だったことは有名であろう)
そして、この『竜馬がゆく』では、脇を固める顔ぶれが、またとてつもない印象を残す。
龍馬の実姉である乙女、江戸で剣術修行をした千葉道場の娘さな子、後に龍馬とともに倒幕の志士となる中岡慎太郎や桂小五郎、そして、龍馬以上に人を惹き付ける勝海舟。さらに、ぞくぞく魅力ある人物が登場し、書いてもきりがない。
龍馬の崇拝者として知られる俳優の武田鉄矢は、司馬遼太郎の描く坂本龍馬が一番好きだと 言っている。
坂本龍馬を描いた書物は他にもあるが、私も読みやすさと面白さが見事に両立した司馬遼太郎のこの作品を第一に推したい。
『竜馬がゆく』司馬遼太郎 全八冊 文春文庫
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■追記■
この書評(というよりは感想文)は、1999年11月に作成したものです。
「十代のうちにこれを読め。おまえの人生観が変わるぞ」
そう言って、ある先輩から本を勧められたことがあります。結局、私がその本を読んだのは二十歳になってからでしたが、愚直にもそのときの先輩の言葉に従い、十代のうちにその本を読んでいたら、自分はどのような影響を受けていたであろうかと、その作品を前にするたびに思わないではいられません。
そうです、司馬遼太郎の傑作『竜馬がゆく』です。
かねてから、私は多くの人にもてはやされる坂本龍馬という人物に興味を持っていました。龍馬が好きだ、という人が、熱く龍馬を語るのを聞いたことがあるからです。そういうとき、決まって眼差しが遠くを見ている目つきになるのが私には不思議でした。けれども、『竜馬がゆく』を読み終えたあとなら、それもわかるような気がしてくるのです。
私は文庫にして八冊にもなるこの長編小説を、二日間に一冊のペースで読みました。他に何も頭に入りませんでした。ただただ夢中で龍馬の活躍を貪るように読んだのです。最後の八巻目は、徹夜をしました。夜が明けてもまだ読み終わらず、すっかり朝になってようやく読了したとき、私は幕末から明治にかけてのあの激動の日本を、龍馬とともに見てきたような気になっていました。そして、暗殺されてしまった龍馬の死を、限りなく悼みました。
私はこれまで『竜馬がゆく』を二人の知人に勧めたことがあります。とても長い小説なので、勧める方も勇気がいるのですが、凄いことに二人とも読破してくれました。そして、十分過ぎるほど満足をしてくれたようでした。
また別のとき、知人が経営していたスナックで坂本龍馬が話題になったことがあり、たまたま私ともうひとりのお客が『竜馬がゆく』を読んだことがあると話したところ、まずマスターが『竜馬がゆく』を読み始めてハマり、今度はマスター自身が違う常連客に勧めたらそこもハマり、私が久し振りに店を訪れたら『竜馬がゆく』の話で店内が異常に盛り上がっていたことがありました。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、史実に即してはいますが、厳密な意味において小説なので、実在しない人物も幾人か出てきて小説内を賑わわせます。(龍馬を慕う泥棒、寝待ノ藤兵衛はたぶん創作)
司馬遼太郎の面白く読ませる文章の技術と、魅力的な人物造形が、多くの日本人の憧れとなる坂本龍馬という人物像を生み出したのだと言えます。
この作品が読みやすいのは、もともと、新聞の連載小説だったので、連載一回分の量ごとに、一行空きがある体裁だからではないでしょうか。このちょうど良い区切りが、この作品をすいすいと読ませてしまうリズムを作っているような気がします。
私の本棚に、手垢にまみれた『竜馬がゆく』の文庫本が並んでいます。久しく取り出してはいませんが、今でもその中で、龍馬は所狭しと駆け回っていることでしょう……。(遠い目)