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海亀湾少年のショートショート【エッセイ】

 短かいから読みやすい。短いから書きやすい——。

 ショートショートを制作したことがある人なら、これと似たようなことを思った人は多いのではないだろうか。初めての創作で、いきなり原稿用紙百枚分の純文学作品を書き上げるのは難しい。けれども、小説の面白さを知った読者が、自分にも書けるのではないかと思い、小説の実作に挑戦しやすいのは、このショートショートという型式のように思う。

 わたしもそのパターンだった。

 小学生の頃から漫画のみならず、文章だけの子供向け読み物も好んでいたわたしは、中学生になって、大人向けの小説を読んでいる同級生と出会う。横溝正史のミステリー小説を角川文庫で何冊も読んでいたTくん、そして、筒井康隆というSF作家を教えてくれたHくんだ。わたしは彼らの影響で、これまで大人の読み物だと思って近付くことができなかった書店の文庫コーナーに立ち寄ることを覚えた。自分の世界がぐっと広がった瞬間である。

 田舎育ちの素朴な十二歳〈早生まれ〉だった海亀湾少年は、ある日、書店で筒井康隆の『にぎやかな未来』という文庫本を見つける。短い話がたくさん載っていて、値段も二百数十円。お小遣いで買えた。この本こそ、わたしが初めて触れたショートショートという文学形式だった。

 ショートショートというと、同じSF作家で星新一が有名だが、わたしは筒井作品が最初だった。これは今思うと大きな分岐点だったかも知れない。創作は模倣から始まるものだが、わたしが初めて書いたショートショートは、言うまでもなく筒井康隆の作風に影響を受けたものだった。残念ながら、自分が初めて書いたショートショート第一作がどんなものかは覚えていないし、書き付けたノートも紛失してしまったが、違う大学ノートに当時の習作が残っていたので、本当に下手くそだが、恥をさらすつもりでここに一字一句変更なしに再現してみようと思う。

◇◇

『ハイジャック』

「え~い、静かにしねいか! この飛行機は、この俺が乗っとった。」

 犯人は、右手にけんじゅう、左手に日本刀をかざし、どなりちらした。

 犯人の前にはおびえている子供達3人がいた。それを見るに見かね、一人の大人がやってきた。

 その人は、犯人の肩に手をかけ、

「君、冗談は、やめたまえ。子供が可愛そうじゃないか」

 犯人は、す直にゆうことを聞き、ゆうえん地のスカイ・ジェットの場をはなれていった。


■自作解説

 中学一年生だった当時、どんな気持ちでこの作品を書いていたのか思い出せないが、読み返すと幼いし、猛烈に恥ずかしい。「スカイ・ジェット」とは、遊園地にあるアトラクションのひとつで、メリーゴーランドのように回転しながら上昇と下降を繰り返す飛行機型の乗り物だったと思う。台詞から始まるタイプの作品だが、「静かにしねいか!」の部分は、「静かにしねえか!」とすべきだろうし、「可愛そう」は「可哀想」と表記すべきだろう。全体的に平仮名が多すぎる。意識して平仮名に開いているはずはないから、単純に漢字が書けなかったのだろう。ただ、この作品はすぐに四コマ漫画へと還元できる。起承転結を意識して書いていないにもかかわらず、そのように構成されており、ラストの一行でひっくり返すところは、まさにショートショートの型式を無意識に踏襲しているといえよう。ハイジャック犯が拳銃と日本刀を持っている点に、筒井作品からの影響があるように思える。

◇◇

『沈没』

 19××年、超豪華客船タイタニックⅡ世号が、日英合同制作で先ごろ完成した。

 処女こう海は、タイタニック号と同じ日、同じこうろだ。

 出発の日、乗客はゼロと思われていたのだが、何んと1500人乗客がいた。

 これは、あとでわかったのだが、1500人全員が、自殺志願者であったというから、おどろきである。

 さて、出発○時間後、あのタイタニック号の沈んだ所にさしかかる。もじどおり氷山が現れた。乗客は、かたず 息をのんだ。

 タイタニックⅡ世号の前に氷山があらわれた。

 船長があわててかじをきった。

 しかし、間にあわず、ドガーン!!

 乗客は、いちじ、目をおおったが、静かに開くと目の前に氷山が胞を出し、しずんでいった。


■自作解説

 まず、肝心な最後のオチのところで誤字をやらかしている。「泡」のつもりでうっかり「胞」と書いたのだろう。誰かに読ませるつもりであればこれは致命的なミスである。全体的に誤字や文法ミスや表記揺れが多い。たぶん、海亀湾少年にはまだ推敲という概念がなかったのだろう。推敲を知っていたら、「氷山が現れた」「氷山があらわれた」と二回も書くわけがないし、「処女航海」や「航路」と表記するためにも、「航」という漢字くらい調べられたはずだ。「乗客は、かたず 息をのんだ」に至っては、固唾をのんだ、息をのんだ、の二つで迷い、どちらかを消し忘れたとみられる。とはいえ、本編の途中には、乗客全員が自殺志願者というブラックなテイストのフックが用意されているし、タイタニック号の船舶事故という史実を取り入れて、それと同じ顛末になると思わせる構成と展開には工夫のあとがみられる。タイタニック号については、筒井康隆の作品にちらりと出てくるので、当時はそうやって知識を増やしていたと思う。やはり筒井作品が自分の根本にあるのだ。

◇◇

 現代の中学一年生ならば、もっと高度な作品をつくれるだろう。わたしの書いたものは、ずいぶん幼いと感じる。それに習作とはいえ、下手くそな過去作を晒すのは恥ずかしい。作品の後に自作解説の欄を設けたのも、自分に突っ込みを入れなければ羞恥に耐えられなかったからだ。

 私小説をひさぐことは、女が春をひさぐのに似ている、と言ったのは、たしか車谷長吉ではなかったか。そこまでむごくはないにしても、小説を書くことは、含羞に抱きつかれながら裸になって外を歩くようなものだという気がしている。

 わたしの大学ノートには、他にも当時の習作が残っていた。SF作家で古典SFの研究家でもある横田順彌の作風に影響を受けたハチャハチャSFや、誰の影響を受けたかは謎だが、今でいうイヤミスも中学生ながら書いていた。いずれのショートショートもやはり下手くそなので、人に読ませられる代物ではないが、猛烈に恥をかきたいときにまたnoteに投稿するかも知れない。誰も読まないと思いつつ、セルフ突っ込みの解説も付けて。





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