#置いた言葉が詩になる時間
作品「坂道」。
作品「夏」。
作品「金木犀」。
しとしとと降り注ぐ街 雨が、濡れている ときどき 長い風が吹いてくるから ビルは 大きな傘にはなれない 古いスマホで 濡れた雨を撮ってはみるが 表情は暗く その形が崩れている 街路樹は 沈んだ背表紙だ 表表紙は降り注ぐ街だから 不均衡な時間が 何となく、成り立つ 気配のようなものに 立ち止まる 一呼吸して、後ろを振り返る 声がしたからと 言い訳しながら、雨の日は 素直になれない日でもある 今日は、映画館の前が 待ち合わせ場所だ プラットホームから
どんな終わりが 地球を均しても大きな凸凹は残る 今も争いが絶えない国と国がある 一方的に侵略する国もある 潜在する脅威を含めれば限りはない 機関銃の音や戦車砲の音 空から降りそそぐ爆弾の音などは 人を殺傷する音だ その音に、耳がピクリと動く 少し遅れて 人々の悲鳴が聞こえて来たりする * 海の向こう側からだ 日本から9000キロ以上離れた 天井のない監獄 地球に住む 同じ人々の悲鳴なのだ 遠く離れているから ゲーム感覚になると言う人が
風 目があると言う いや 口もあると言う 耳もあるはずだと 話に割り込んで来る人もいる 見た事はないが と 言葉が 置いた句読点で紐づく 曖昧になっても 僕はこのやりとりが好きだ 少しずつ 真実味を増してくる 指を舐めてみて と 言われた 風の動きが分かるよね うん と頷くと その時 凝視すれば もしかすると 一つだけでも 見る事ができるかも 一日の中で 寂しくなる時間があると そんな問答を
地元紙にある作家が書いていた記事が目にとまった。 東日本大震災後3年ほど過ぎてから、その震災の事を 書いて出版したいと、出版社の担当の方に話をしたら 今は震災の事を書いても売れません。震災後1年くら いはあちらこちらから東日本大震災の事や原発事故の 事などが書かれた本などがたくさん出版されたが、そ れは1年目もしくは2年目までですと言われた。 このような内容の記事だったと思うが、私も同じよう な事を言われた事を思い出した。「まだ震災詩をかいて いるのですか?」と言う