見出し画像

生きてるだけで奇跡、とわかっているのに忘れてしまう

 親友が妊娠した。なんと、エン様(赤ちゃんのあだ名)の予定日とほぼ一緒! こんな偶然があるだろうか。順調にいけば、彼女は1年前の私と同じような妊娠経過をたどる。1年前を振り返ってみることにした。

 2022年2月、私は九州出張にかこつけて、宮崎県高千穂まで足を伸ばした。embryo(英語で胎児の意、エン様の胎児ネーム)は、私のお腹に光の粒が飛び込んできたようなイメージで、光を司る神様の天照大御神にゆかりのある場所を訪ね、無事embryoが成長し出産できますようにとお祈りしたかった。また、embryoの母が私で、私の母が実母で、実母の母が祖母で……と、embryoの命は大昔から連綿と続いているのを感じ、日本の土地に住んでいる人のルーツをたどってみたかった。高千穂には天照大御神が隠れた天岩戸神社があり、天孫降臨で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原から日本の地に降りてきた場所とされる。

ここが高天原と葦原の中つ国(日本)とのつなぎ目らしい

 丁度この旅の途中、ぽん、とお腹が出てきて、外からは分からないけどズボンのホックが止められなくなった。embryoは身体の基礎を作り、心臓、手足、脳などを作り込んでいっていた。

 高千穂で、現地の方にあちこち案内してもらって、ここに瓊瓊杵尊が降り立ち、日本の歴史が始まったように感じた。そして数えきれない命をつないで、今embryoとなっている。何一つ欠けても実現しなかった現実が、奇跡的な確率で今ここに起こっている。


 私は大学院時代、マウスを用いて実験していた。妊娠しているマウスを解剖し、胎児を取り出し、胎児も解剖して目的の臓器を取り出し、実験に使う。さらっと書いたが、もし自分がマウスだったらと想像してほしい。
 余談だが、科学はたくさんの犠牲の上に成り立っていると重々承知していても、自分の手でたくさん殺さないといけないのが心理的に無理で、私は博士課程に進めなかった(実験系で博士号を取った人は、私の乗り越えられなかった壁を越えた人として、尊敬している)。

妊娠マウス。上から見るとふつうに見えるけど、正面から見るととんでもないことになってる。
出所:羊土社『マウスカラーアトラスと写真で見る脳実験マニュアル』P.8
生まれたての赤ちゃんマウス。
出所:羊土社『マウスカラーアトラスと写真で見る脳実験マニュアル』P.8

 たくさん解剖するなかで、たくさんの赤ちゃんを見た。マウスはハツカネズミと呼ばれるだけあって、20日おきに出産できる。一度に多いと10匹産むので、妊娠マウスのお腹はヒトなんかと比べ物にならない奇妙なゴツゴツの岩みたいになる。
 1匹の妊娠マウスを解剖し、8匹胎児が入っていたとして、8匹は同じではない。手足の発生がうまくいっていない子、異常な血管腫が浮き出た子、栄養が十分届かず発育不良の子……。もちろん大多数は正常に発生するが、奇形もたくさん見た。

 ヒトに置き換えると、妊娠中に流産・死産した子、病気や障害を持っている子がいる。当事者の方には耳タコだろうが、親のせいではない。たまたま遺伝子に傷が入ったり、コピーをミスったり、分裂を間違えちゃったから起こるものがほとんどだ。
 生物学的には、遺伝子に可塑性がないと生物種として進化できないので、たまのミスは必要悪として組み込まれている。でもそんなことを言っても当事者の方には何の救いにもならない。

 正常に発生することは奇跡。生きているだけで奇跡。実感を持って、そう思っている。

受精後56日のembryo、身長3cm
出所:日本医事新報社『ヒト発生の3次元アトラス』P.28
生後6ヶ月のエン様、身長70cm

 神話をたどっても、マウスの実験を振り返っても、エン様が今目の前にいることは奇跡なのだ。1年前、embryoは推定3cmくらいだったのが、今やエン様は70cmに成長した。身長だけで23倍、体積も考えると驚くほどの成長を遂げている。そしてエン様は今のところ、正常発生している。生きて、元気でいてくれてありがとう。

 でも現実の育児はそんな美談では収められない。ギャン泣きにイライラして怒ってしまうこともある。寝たいなら寝たらいいのに。ちょっとトイレ行く間くらい我慢してよ。もう抱っこ疲れたわ。
 マウスと同じように(というか多分マウス以上に)、ヒトの赤ちゃんも個性様々だ。大きい子、小さい子、寝る子、寝ない子、食べる子、食べない子、よく動く子、動かない子、笑う子、笑わない子、好奇心旺盛な子、慎重派の子……。常に隣の芝は青い。

 赤ちゃんが成長するにつれ、周りの子との個性や発達の違いが際立ってくる。エン様もハーフバースデーを迎え、得意不得意が見えてきた。こんな時だからこそ、生きているだけで十分、と自分に言い聞かせている。1歳になっても、5歳になっても、10歳になっても、生きてるだけで奇跡。忘れがちだからこそ忘れないようにしたい。

 「正見(しょうけん)」という仏教用語がある。正しく、現実のみを見る。隣や理想と比べるのではなく、今目の前にいる赤ちゃんを見る。
 これがとても難しいのだけど、正しく見たら、病気や障害の有無にかかわらず、今ここで赤ちゃんが生きていることは奇跡で、数えきれないご縁がつながったおかげと思えて、満足できるのだと思う。子育ては悩みの連続だけど、根っこの部分では満足してたいね。



 ……さて、ここまで読んだ文章、何か違和感はありましたか? 

 すごい時代になりました。私はAIに助けられて文章を書きました。AIがとうとう私たちの生活に入り込んできました。最近noteにchatGPIというAIが実装され、私がインプットしてAIがアウトプットしてくれるようになりました。AIに執筆を助けられた(もちろん著者は私)。こうやって未来に一歩ずつ進んでいくのだなぁ。

 AIは「生きているだけで奇跡」と思わないだろうけど、人間がそう考えているのを読み取ってくれるみたい。人間らしい文章をこれからも書いていこうと思います。


 この記事が面白かったよ、最後AI出てきてビックリしたよという方は♡押して行ってもらえると喜びます! 最後までお読みいただきありがとうございました。

《終わり》


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?