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肉体の死とは(#2お迎え)

魂が肉体を離れた瞬間、お迎えが送り出されてきます。
通常、カルマ的なつながりを持っていた知人、家族、関係者数人がやってきます。彼らはそこであなたを歓迎してくれるでしょう。そしてあなたはそれが誰だかわかります。
彼らはあなたにとって特別な人で、まだその魂が生まれ変わっていなければやってきてくれます。共感することができ、引き寄せの力がそこにあり、死後のプロセスをサポートしてくれるのです。
突然の死の場合、お迎えの魂が何が起こったのかを説明するでしょう。


魂の領域に入った時あなたは記憶を取り戻し、過去世とカルマの全体像が見えます。初めはたった今過ごした人生の中での彼ら(魂)を認識し、次にそれまでのいくつもの過去世の中での彼らを認識します。
その時点であなたは全てのカルマを理解し、あなたは何の学びを完了し又何を学びに再び地球に戻るのかを理解します。

魂は他の多くの魂と交流しながら次に必要なものを学んだ後に、スピリチュアルマスターと相談して次の人生を計画します。
休憩所という場所もあり、そこは傷ついた魂やトラウマを負った魂が次の転生の前に回復するための特別なところです。


肉体の死後、プロセスをを経る魂が望む場合には、例えばキリストのエネルギーが現れたりして、他の信念や宗教にもこれは当てはまります。人間が特定の存在に対する深い永続的な信念を持っている場合、魂の領域に入るためのプロセスのサポートと見なされます。
肉体の死後、あなたが見ようと期待しているもの、あるいはあなたが創り出したものは実際に目にします。肉体の死後には非常に多くのさまざまなことが起こる可能性があるのです。
もしあなたが光に向かうサポートをしてくれるガイドや友人に出会うことを期待しているならば、それは起こります。そしてもし、あなたが自身は業火に焼かれると強く信じ込んでいた場合、そう認識されます。
しかし多くの場合、身近にいた魂がやってきてくれます。自分の知っている魂であれば恐れることはないからです。

人によっては、例えばそれがトラウマ的な死であって自分の体が存在しなくなったことを知る経験に耐えうるまで、深い休息の期間に入ります。
そしてゆっくりと目覚めていきます。
私たちは人々(魂たち)にただただ彷徨っていてほしくはないのです。それは時に自身と他人に害を及ぼす可能性があるからです。自分がどこにいるのかがわからず、死を受け入れず、ただ肉体に戻ることを意図すると、亡くなった場所に自分を縛り付けてしまうことになります。
なので休息することにより、時間をかけてゆっくりと起こったことは最善であり自然であったと知ることができます。

魂の進歩には肉体の死が必要なのです。
これは継続的なプロセスであり、多くの情報を学ぶのに最適な方法です。あなたがある学びを終えたらば、その経験は取り除かれ次のステップの学びのための経験が計画されます。新しい環境は進歩にとても重要です、過去の思い出は未来に目を向ける妨げになりうるのです。


肉体の死には多くの恐れが伴います。
最も語られないが、最も考えられているものです。直面する問題は恐れではなく、哲学的な教義が邪魔をすることです。
それぞれの魂の転生は一度きりだという信念の中で育てられた人たちがうつ病などの問題を抱えている理由の一つは、唯一の機会を台無しにしていると感じているからです。または、自分が生きている後の人生を考えることを恐れている人もいます。今生きている状態があまりにも苦痛で、継続的な人生の連続は拷問であると考えているからです。

教会の多くは、人々が前世や後世を信じることを望んでいません。恐怖の支配が緩み、彼らはコントロールできなくなるからです。全ての偉大な教派の指導者たちは前世、前前世のことを知っていましたが、規制により一般的には公開はされませんでした。
おそらく彼らは、自分でも気がつかないうちに物事の暗い側面によって歪められているのかもしれません。

人間は聖書から多くのことを削除し、自分たちの都合のいいものを付け加えてきました。彼らは何の心配もせず、”これは私の望むことだからその様であるべき”と。聖書は歴史の中で何度も書き換えられてきたことを知られるのを、彼らは恐れています。

そして多くの人が自由な発想を怖がります。
人々が人生を通じて信じてきたことを取り上げられ、基盤を奪われることになるからです。たとえそれが無意味だとしても、人間は何か信じるものがなければ生きていくことができません。
誰かが少し違うことや珍しいことを思いつくたびに、人々は怖がり、それについて悪口を言います。人間は恐れることなく存在することを学ばなくてはいけません。

真実は何世紀にも渡って隠蔽されてきましたが、明らかにされる時がきています。