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日記:3/4(鬱の後遺症)

 新型コロナの後遺症が話題になって久しい。世の中には直った後でもなお患者を苦しめる後遺症をもたらす病がある。しかし、精神病というカテゴリーで見ると意外と後遺症があると知られているものは少ないのではないか。

 僕は双極性障害で何度も鬱に苦しめられてきた。今現在は安定しているものの、最近これは鬱の後遺症ではないかと思うものがいくつかあった。


衛生観念が低下する

 鬱の症状としてよく言われるのが、お風呂に入れないこと。僕も鬱の時は月に1~2回しかシャワーを浴びない時期があった。洋服も下着も毎日同じものを身につける。歯磨きも億劫でスキップしてしまう。そんな感じで、とにかく衛生観念が低下する。自分に対する興味がなくなっていたり、外に出て人と会わなくなったりすることも原因の一つかもしれない。

 しかし問題は鬱期を抜けた後で、健康で元気なのにシャワーや歯磨きをスキップしてしまう癖がついてしまった。つい昨日も3日ぶりにシャワーを浴びた。「西洋人とかはシャワー毎日浴びないしまあいっか……」みたいな思考で誤魔化し始めている。昔は絶対毎日シャワー浴びないと気が済まなかったのに。シャワーとか着替えはまだいいけれど、歯磨きはサボると苦しむのは自分なのでちゃんとやらなきゃと思う。でもなんかまあ明日でいいかとなってたまにパスしてしまう。

鬱転が怖い

 双極性障害の人はよく当てはまると思う。特に自分は数時間、数日ごとに気分が入れ替わる時期があったので、この元気もいつか急に終わって鬱が来ると思って怖くなることがよくある。双極性あるあるだと思うけれど、先の予定を入れてもその当日に調子がいいかわからない「体調ガチャ」が存在するので、バイトとかライブとか未来の予定を入れるのが怖くなる。でも予定を入れることでそれまで生きようと思える節もある。

取り戻したくなる

 とは言いつつ、一度軽躁に戻ってしまうと「もう一生鬱とか来ないっしょ!」みたいな自信過剰謎思考に陥ってしまう。今も割とそう。僕は鬱のせいで年単位で時間を無下にしているので、それを取り返したくなってしまう。最近はToDoリストを作って、完全に人間のキャパを超えた作業を毎日詰め込んでいる。頑張りすぎるとまた落ちると気がきますよ、と主治医に言われたものの、頑張らないことが怖すぎてやめられない。

助けにくくなる

 仲のいい友達に「死にたい」って言われたらなんて返しますか?僕は大抵「死なないでほしいな」と返していたが、何回も希死念慮・自殺未遂を経験すると、そんなこと簡単に言っていいのかな?と考えてしまう。死にたいということはそれなりの苦痛の種があるわけで、大抵の場合僕はそれを取り除くことができない。そうなったときに無責任に生きてほしいなんて言っていいのかなと。本人は死んだ方が楽だから死にたいと言っているわけだし、かといって「苦しいなら死んでいいよ。頑張ったね。」なんて言って大切な人を失いたくはない。散々悩んだが、一周回って「生きていてほしい」と率直に言うことにした。もし自分が逆の立場だとして、「死にたい」に対して「死んでいいよ」と返されたら余計絶望してしまうだろうから。それだったら「死なないで」と言って少しでも安心感を感じてもらった方がいい。実際自分も相手に死んで欲しくないわけだし。

まとめ

 というわけで、意外と鬱にも後遺症があるという話でした。みんな、一緒に生き抜いていきましょう。おわり

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