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量でつかめた変化。嫌われたっていい。それがなにかを伝えるってこと!
あなたはなにかを書くとき、話すとき、慎重ですか?
正確かどうかが気になりますか?
わたしはずっとそんなことが気になっていました。
そうしたら今朝、ふと気づいたのです。それはわたしが女性だから。
noteの毎日投稿25日目、スタエフ毎日配信65日目、量が重なり、わかってきたことがありました。
嫌われる・好かれる・どちらでもない
あなたはここnoteで誰かになにかを伝えたいとお思いですか?もしそうなのであれば嫌われてもいいのです。
毎日書いて、話して、を繰り返し、たどり着いたわたしの答えがそれでした。
可笑しいですね。
そんなことnoteをはじめる前から知ってたよと思われたあなた。
あなたは社会的な、そして文化的な背景や、性差に影響を少しも受けずに育たれた幸せな方だと思うのです。
残念ながら、わたしには繰り返し刷り込まれてきた言葉があります。それはわきまえよ!です。
で、わきまえたわたしの言葉がどんなものなのかご存知でしょうか?
それは嫌われない、そして、好かれない、だれにも届かない言葉です。
知らないことの強さ
わたしには働き続けてきた同世代の女性にひどく攻撃された経験があります。
常に言われたのがわたしたちの税金で!です。
彼女たちは働き続け税金を納め続けてきた女性でした。
けれどわたしは夫の転勤があって以降、働けなくなりました。特に子供が生まれて以降、パートでしか働けなくなりました。
なんとか経済的に自立しようと、子どもが小学校にあがると教育産業で働きはじめたのですが驚くほどの薄給でした。
以来、わたしは自分で税金を納められなくなりました。
そうしてわたしは責められるたび、怒りがこみあげてくると同時に、自分の生き方を恥じ、自分を責めました。
だからわたしは女性の働き方と生き方について考えるようになったのです。
なぜこうも苦しいのに反論できないのか。わたしには価値がないんじゃないか。
そんなふうに自信が無くなっていったのです。
知らなことの弱さ
だからこそ、今わたしは、わたしが知ったことを良心の呵責を感じている人に伝えたいのです。
なぜあなたはそこで悩んでいるのかということを。
不当な扱いだと感じてもその理由が分からない。だからこそ、それは自分のせいではないと完全には思えない。
わたしたちは家事育児をおしつけられ、いい母であれいい妻であれと期待されつづけてきたのです。
ただ、税金も払わないで!と非難する女性たちにも別な場所で辛いことがあるはずです。
PTAは主婦まかせとか、子どもへの愛情が足りない、子どもがかわいそうだとか。言われているのです。
悲しいかな。非難されるのは女性です。
そうしてわたしたちは、自分の態度や行動、言葉が原因なのではないかと振り返ったりしてしまうのです。
嫌われていい
毎日noteを書いて毎日音声配信をして分かったこと。それは、嫌われてもいいんだということ。
良心の呵責を感じるそのわけを書こうとするとき、批判めいたコメントを繰り返しされ方たがいました。
そこに何があるのかずっと考えていました。
なぜって、わたしは一度だってどなたかを論破しようと考えたことはないのですから。それでもやってきたしんどいコメント。
でもようやく気付いたのです。
批判めいたコメントを書かれる方とわたしとの間にあるのは固定観念や先入観。
もちろんわたしにだってその刷り込みがあります。
だからこそ、わたしはたとえ不当なと思えることでも良心の呵責に苦しんでいたのです。
男性の側に刷り込まれた妻とは家族とは女性とは女の子とはという固定観念や先入観。もちろんそれはわたしの中にだって色濃くあったのです。
それは誰が悪いわけでもないのです。
だってもうずっと昔から続いているものなのですから。
おわりに
届けたいものがある、それなのにどうしても語ったり書いたりすることができなかった。
それはわたしの中に刷り込まれていた従属的なわたしがいたから。それが生意気だよと警鐘を鳴らすのです。そんなことを言うと、書くと、嫌われるぞと。わきまえよ!と。
けれどようやく分かったのです。
たとえわたしに肩書が無くても、わたしは思うことを自分の言葉で書いて話していっていいんだと。
なぜって、わたしは女性の労働と女性の生き方の当事者の一人なのですから。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでも配信しています。よかったらお聴きくださいね✨