オリンピックで感じること
パリオリンピックが終わりました。日本は金メダルの数が世界第3位で、記録も記憶にも残る、素晴らしいオリンピックだったと思います。
そして、今、上野千鶴子さんのツイートが話題になっているようです。わたしは氏の意見に、一部思いを重ねる部分はあるものの、その言葉の強さに少し戸惑っています。
やはりオリンピックの時期には、試合を観たい人は多いはずです。放映権が驚くほど高額な事はもちろん問題です。それが取れない国では、選手の活躍はみれないはずです。わたしはその恩恵にあずかった一人ですが、日本では、今だ復興の目途さえ立たない地域もありますし、新たな災害も起こっていますので、バランスの悪さが気になるのでしょう。
それでも、わたしは、一人の人が、たゆまぬ努力を重ねて新たな記録を作る瞬間を目にできるオリンピックは、人生の学びのようにも感じています。
今回、大きな話題になった柔道ですが、団体戦の阿部一二三選手の果敢に相手に向かうチャレンジ精神は際立って美しいものでした。個人的には、彼の優勢勝ちだったと思っています。
齋藤選手は、なぜもっと攻め込まないのだろうと観ていてフラストレーションを感じましたが、専門家の解説によれば、それをさせない相手だったそうです。そして、その齋藤選手の試合後のスッキリ感が印象的でした。
齋藤選手こそ、お父様や国の期待を嫌と言うほど背負ってきた方に違いありません。その方が、反省の弁を述べられ、4年後の自分のイメージを語られました。その潔さに、これぞスポーツを通して作り上げられる人の魂の美しさだと感じました。
そして、もしマスメディアの報道に行き過ぎがあるとするなら、それは際立った贔屓にあるのではないでしょうか。
競技前からスポットライトが当たり続ける選手もいますし、メダルをとって注目される選手と、そうでない選手がいます。
こうした報道の片よりが、つまり、特別に注目され続けることが、競技に集中する選手の自我を目覚めさせるのではないでしょうか。
まだ若いアスリートがメディアの露出が続くと、それだけで気になります。どれほど努力をして集中していたとしても、人間です、ふと自我に目が行くと思うのです。メダルをとって当たり前の人という大きな流れが作られて行く中で、初めはなかった個人的なプライドが体から引きずり出されてくるように感じます。
わたしは、2つ気になるのです。
■一つは、せっかく選手が積み上げてきた努力に邪念が入り込むことです。試合前に注目熱が高まると、よほどの人でもない限り、雑念は膨らみます。それでは、本来の力が出せなくなりますし、個人の弱さをわざわざ引き出しているように思えるのです。
■もう一つは、メダルを取った選手に対する騒ぎ立てです。こちらも、初めてのメダリストや、若い人は、せっかく競技で鍛えた精神力が、煩悩に負けそうです。そんな選手が、再び競技人生に集中することは大変な事だと思うのです。
とはいえ、そこも含めてオリンピックだと言われるなら、そうなのかもしれません。
少なくとも、わたしは記録を超えて行く人の姿を観るのが好きです。次の大会から、多くの人がそれまで破れないと思いこんでいた記録を次々に超えて行くでしょう。
これはわたしたちが刷り込まれた意識を脱ぎ捨てる作業とよく似ています。絶対に無理だと思っていたことも、本当は限界はないのだと教えてくれます。
それから、ライバルの勝利を心から祝う選手、謙虚な選手の姿にも驚かされます。
そして、共通しているのは、周りに感謝する姿勢です。
どれも、わたしたちの日々の暮らしに必要なものばかりだと思うのです。
※最後までお読みいただきありがとうございました。