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言うは易く行うは難き

いろいろとやることが多く、日々慌ただしく過ごしている。

ただ、今日は夕方から体調が優れず、しばし横になっていた。自分でも気づかぬ不調はある。寝たきりになった母が体を自分で起こせるようになったというのに、今度はわたしがダウンかと思った。

ただ、不調な時には寝るとだいたい元気になる。

そして、よく寝た。先ほど起きてきて、体が軽くなっていることに気付いた。これは助かる。だいたい、こうした時はストレスが原因なのだ。

先日購入した渋沢栄一氏の一冊の本を手に取り、最初に開いたページでnoteを書こうと思った。そうしたら「自分で振り出した”手形”は必ず自分で落としておけ」というタイトルがでてきた。右のページにもなるほどと思う言葉が書かれていたけれど、今日の自分にはこの左のページに書かれた言葉がしっくりくる。

近頃は、夢があるなら、まず自分の夢を口にするという人が多い。これはなかなかいい考えだと思う。わたしもまずは自分で口にして、周りにそれを言い、それから外に向かって言うことが多い。

けれど、渋沢氏は、

昔の人は実践を重んじて、できないことは口にしなった。そして言葉をつつしみ人を批評せず、自分の志をむやみに表明しなかった。・・・もし自分の行動が言葉に追いつかなかったら、これほど恥ずかしいものはない。

とある。

これだろうな、と思う。

わたしは今クラウドファンディングに挑戦中だ。このプロジェクトの怖さはただ一つ、初めてトライするというのに、事前に告知する類のイベントだということだ。これは恐ろしい。とん挫したら信用問題だと思う。

渋沢氏は、

自分で実行できないことは口に出さないようにしたらよい。口先だけの人はいやしく実行の人は尊い

と述べている。

今日の体調不良はきっとこの辺りにあるのだろう。クラファンの審査は複数回あるという。初回の審査では足りないところを補う必要があることが分かった。そして2回目の審査に提出した。

ならば、もうストレスはないだろうと思うのだけれど、まだ先がクリアに見えない。きっとここがストレスなのだろう。「自分で振り出した”手形”は必ず自分で落としておけ」、この言葉は実に重い。

人に助けられてここまで来れて、だからこそ、その仲間になって下さった方々にはいいお知らせがしたいと思う。けれど、今はただ待つだけだ。

これから、動画撮影を終えて編集が終わると、最終審査の運びとなる。これはわたしにとっては一大プロジェクトになった。「言うは易く行うが難きもの」と知りつつも、まだなんの形もないものをやりますと告知して動き出した。

渋沢氏の時代には無かったこんなプロジェクト。今氏が生きていらしたらなんとおっしゃるだろう。それでも、誰よりも時代をよみつつまだないものを切り拓いてこの国に残された人だ。きっとわたしの想像もつかない言葉を口にされるに違いない。

とにかく、こんなところでやけに真面目な気質が自分を追い込む。いやいや、きっと大丈夫。今のわたしにはこんな言葉しか出てこない。けれど、それは本当なのだ。何度考えても、どうしてもやらずにおけなかったプロジェクトだった。これが最後の挑戦と動きはじめたのだ。年齢なんて関係ない。人にはやらなければならない時がある。きっとそれが宿命なのだと思う。

「自分で振り出した”手形”は必ず自分で落としておけ」これをわたしは忘れない。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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