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新年の習慣

もう12年続いている新年の習慣があります。

それが写経です。

義父が亡くなった翌年から、夫と別々な部屋で、正月休みに般若心経の写経をします。

それから、成人の日のお休みには、義父の眠るお寺に、その写経を納めに行きます。

その写経ですが、毎年そうだなと思うことがあるのです。


般若心経には「無」と「空」が繰り返し出てきます。

人が生きていく上で、その2文字はとても大切な気がします。

AIに尋ねてみると、般若心経における「無」とは、

万事が変化していく実体なきものであるが故に、「執着してはいけない」という意味を持った言葉

とでできます。

確かに、何事も変化しますし、崩れ去り新しくなるものも少なくありません。あると思えるものもまた、本当は実態なきものなのかもしれません。

そして、「空」については、

すべての存在や現象には固定的・絶対的な実体がないという概念

とあります。

感覚的には分かりますが、少しぼんやりとしています。

もっと分かりやすくは、

「空」は、悩みや苦しみの原因が「こうあるべき」という思い込みや執着から生まれることに気づかせ、そうした執着を手放すことで心の安らぎを得られるという智慧を説いています。

とあります。

これならピンときます。

「こうあるべき」は、わたしの中にもあります。

そして、それは思っている以上に強く、生きにくさの一つだと思います。

普通の人は、手放すまではいかないのではないでしょうか。

そこで、親しい人が教えてくださった考えがあります。わたしは、この考えが好きです。

人が動くと、必ず予期せぬことが起こる。それでも、人は止まっているより動いたほうがいい。

なぜかといえば、その予期せぬことは、今今起こっている数々の局の一つにすぎず、そこが上手くいかなければ、その局は一旦手放し、他の局に視点を移すといい。

というものです。

さらに、数々の局の中で、全て勝つ必要はない。必要な局だけ勝てばいいとも言われます。


これも、どこか般若心経に通じるものがあるような気がします。

執着は手放せなくても、視点を変えると見える景色が変わります。


写経は心が落ち着きます。

年の初め、焦ることはないと、文字が教えてくれる気がします。



※最後まで読んで頂きありがとうございます。

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