パートで「主婦」を連想したあなたは日本人? #アンコンシャス・バイアス
似ているけれど、まったく違うものってある。
そう、この国のパートタイマーは特殊だと思う。
アンコンシャス・バイアス
偏見とは知らず知らずのうちに育つもの。問われる前に既に自分の中に答えがあって、わざわざ立ち止まって考えてみたりはしないもの、それが偏見だと思う。
これは日本の話しだ。
たとえば主婦のパートで働く女性を、キャリアウーマンやリーダーとは誰も思わないだろう。だって主婦だし、だってパートだし。
ではそんな働き手が他の働き手の女性と同じような仕事をしていたら?
主婦のパートと正社員女性は社内で互いを仲間と思えるだろうか?
いや、なかなか思えない。
主婦のパートは社員で働く女性を「同じ仕事をしているのに偉そう」と思うかもしれないし、正社員の女性側は「わたしたちは難関突破してここにいるのよ。一緒にしないでよ」となりはしないだろうか。
横たわるのは目に見える待遇格差。
主婦のパートは低賃金だ。たとえ同じような仕事をしていても低賃金。そう、正社員とは別枠で働く人たちなのだ。
だからといって気の毒なわけではない。なぜって主婦のパートだから。なぜって、彼女たちには稼いでくれる夫がいるから。
それがこの国に広がるバイアス。
偏見とは上手く説明できないけれど、その呼び名でそのイメージが共有できるもの。そしてなかなか剥がせられないもの。
必要職
主婦のパートは労働市場で人手不足が起こった第二次世界大戦直後の昭和20年代に生まれている。
最初は人材確保が出来なかった中小企業が主婦に仕事を与えた。やがて大企業でも主婦を雇うようになった。主婦側もちょっとしたお小遣いだと喜んで働き始めている。
その昭和30年代には主婦のパートは労働市場の1割弱。
それが昭和60年代にはすでに2割になっている。
2割なんて小さな数字のようだけれど、実はこれは女性の労働者の総数から眺めると約7割に相当する。
そう、主婦のパートは必要とされて誕生した働き方だったのだ。増加率がそれを語っている。働く女性の10人に7人が主婦のパートという時代がやってきたのだから。
グングン増えているのは企業が求めていたということ。
平等の圏外
昭和60年代には日本に男女雇用機会均等法(以降均等法)ができている。
そんな頃、この国では女性の労働者の10人に7人が主婦のパートとして働いている。
といってもこの主婦のパートは労働市場の中にはいない。彼女たちは雇用の調整弁なのだ。人出が足りなくなると増やし不況になると切る、それが負担なくできる。なんといっても彼女たちには稼ぐ夫がいるという暗黙の了解がある。
しかも夫は家族を養う生活賃金を貰ってくる人なのだ。だから主婦は一人前の労働者にカウントしなくてもかまわない。主婦は賃金は高卒の初任給を時給で払えばいい。昇給なんてなくてもかまいはしない、社会経験のない子たちと同額でいい。
こんな使い勝手のいい働き手がどこにいるだろう。
使う側からすると何一つ雇うリスクがない。
彼女たちは結婚しているのだから。
だから均等法とは関係がない。
だって主婦なのだから。
常識を疑う?
あなたは疑えるだろうか?1950年から続いてきたこの働き方を。もう70年以上も続いている。おばあさんや、お母さんの時代からあったこの国の伝統ある女性の働き方をおかしいなと疑えるだろうか。
均等法ができても変わらなかったということは正しい働き方なのだ。しかもそれで誰もが幸せそうに暮らしてきたじゃない。たとえ欧米にそんな枠が無くたって構いやしない。それがこの国の常識なのだ。
30年前ならそんな声だってあったろう。
けれど今は女性だって学んでいるし独身時代は誰もが一度は働く時代だ。
冗談じゃない。属性と働くことをごちゃまぜにする社会だなんて怖すぎる。夫が居たって子どもが居たって仕事に見合う賃金を手にする権利は誰にだってある。主婦のパート枠はおかしな括りだ、そう言えるだろうか。
そう、それは身分なのだ。
主婦のパートは労働市場圏外。
だから便利に使ってもいい身分なのだ。
わたしたちはそんな国に暮らしているのだ。
おわりに
先週主婦年金を考える際、主婦のパートについてもお話しした。この2つは互いにバランスを取り合ってきた(下は先週の記事です)。
だからもう少し日本の主婦のパートの姿が見えるといいなと思う。歴史も常識もなかなか見えにくい。だから情報を取に行くことが大切だと思う。
次回は、主婦年金が無くなることと、主婦のパートについて考えてみたい。
参考図書
原田冴子『女子労働の新時代』雇用職業総合研究所編 1987 東京大学出版会
つづく
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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