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自分の思考を超える社会的ネットワーク #主婦問題
発信を続けていると、初めて経験することに遭遇することがある。
昨日から今朝にかけて、わたしはそんな新しい経験をした。
答えは?
よくよく考えて出した答えが間違っている、そんな経験ならきっと誰でも一度はしたことがあるだろう。
けれどそこに正解が無かったなら?
昨日わたしは一つの問いに対して自分なりの答えを出し、最初に音声配信アプリのStand.fmで、それからここnoteでも同じような内容の記事を書いた。
それが下記の記事だ。
そもそものきっかけはスタエフに匿名のレターが届いたこと。
そこには、
母親は奴隷ですか?
と書かれていた。
届いたのは夕方5時。
そこからわたしは考えた。正解はだれも知らない。
違う向きのコメント
ところが、配信したStand.fmに様々なコメントが届いた。これは初めての経験だった。
そもそもラジオとは、人を和ませる内容を配信するものだと思う。それなのにこんな深刻な内容を沢山の方が聞いて下さった。
そしてその後コメントが届き、長いレターも届いた。
確かにレターを送られた方の置かれている状況は、想像すると複数考えられる。けれど正解はだれも知らない。
よくよく考えた上で、わたしは主婦という生き方に誇りをお持ちの主婦からのレターだと感じた。なにしろわたしも長年主婦として生きてきて、主婦という生き方に誇りを持つ人が少なくないことを十分に知っている。
けれど届いたコメントやレターからは、レターを送られた方には苦しみがあるのでは、ということを示唆するような内容が散見されたのだ。
もちろん、誰もその答えは知らない。
けれど、向きの違うコメントがわたしの思考を広げてくれた。
社会的ネットワーク
わたしは以前、一冊の本を紹介している。書かれているのは社会的ネットワークの力。
そこには、こんなことが書かれていた。
人が一つのネットワークに埋め込まれることで、人はその繋がりから影響を受け、自分の決定権の一部を失う。けれど同時に、人が相互に繋がりをもつことで人は自分や自身の限界を超える。
一人の人間ではできないことをやってのけるのが社会的ネットワーク。
人間のネットワークは、それ自体が命を持つ特別な存在。
昨日はよくよく想像して答えを出したつもりだった。けれどもっと他に何かあるのかもしれないと、わたしに送られてきた一文を沢山の人が考えて下さった。
まだまだ小さな変化だけれど、一つの問いを共有したことで、それは自分の思考を軽く超えていった。
保護されること
わたしは主婦の年金と主婦のパートはセットであり、主婦年金のみが社会問題なのではないと話し、そんなことを書いてきた。
おそらくこの2つをセットで語られる人はいないと思う。
けれどわたしは主婦というスティグマを貼られた時から、この2つの問題になやまされてきた。
一つはズルイ、甘えているといわれる主婦年金。もう一つは薄給しか手にできない主婦のパート。
この2つの問題を創り出しているのが女性を保護するというこの国の形だと思う。
そして、もしもあの匿名のレターの文字が叫びだったとしたなら。そのことを今日は考えていた。
大人が誰かに保護される社会、ここでは女性がそんな状況に置かれて行く。決して大げさではない。わたしは白いボールを投げて青いボールを受け取ったと思ったけれど、もしや返ってきたボールは白いままだったのかもしれない。
答えはどこにもない。けれど私たちはそのことを考えていかなければとも思う。
おわりに
わたしに届いた一通のレター。そこには主婦は奴隷ですか?と書かれていた。
主婦には2つ問題があり、その2つを同時に解決しない限り主婦は酷い場所に置かれるとわたしは訴えてきた。人が奴隷であっていいはずがない。もしもそれがSOSだったのなら今すぐその場を離れてほしいと願わずにはいられない。
わたしたちは女性が誇り高く生きられる国になることを考えていかなければと思う。
参考図書
『 つながり』2010 ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー、訳鬼澤忍 講談社
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。