【母と娘】知ってそうで知らない母のこと
母と娘は難しいとよく言われるけれど、わたしは、あなたは、そしてわたしたちは、本当に母を知っているのだろうか。
刷り込み
マインドコントロールなんて特別な世界の話のようだけれど、それはどこにでも、誰にでも起こりうる、日常の行為の一つなのかもしれない。
わたしは進学と共に東京の父方の親せき宅にお世話になった。女の子一人では危ないからと預けられたのだ。
そこでは実の娘のようにかわいがってもらった。
けれど一つだけ苦しいことがあった。それは母が格下の人だったこと。母が、母の母が、母の祖父が汚らわしい人として語られた。戦争で父を亡くした母が一族に紛れ込んだ。暮らしの細部にその物語が入り込んだ。
そんな時わたしは口惜しさに震えた。けれど若いわたしは母を少しも知らず、初めて聞かされる話ばかりに混乱した。母に尋ねればよかったのだろう。これは本当の話なの?と。けれどできなかった。聞こうとすらしなかった。聞けなかったのだ。あなたは笑われている、皆に毛嫌いされていると娘のわたしがどうして母に言えたろう。検証不可能な話ばかりなのだから。
そんな話しを聞くうちに、わたしの中の口惜しさはいつしか母への不満へと変わり、やがてわたしも彼らと同じ目で母を見るようになり、もう東京にいる理由など無いと思った時にさえ、汚らわしい母の下にだけは帰りたくなかった。
気付き
けれど人はそれほど単純なつくりではないらしく、その頃からわたしはとてつもなく深い孤独の闇にのみこまれた。顔からは血の気が引き、笑えない青白い顔をした女になった。
そのままわたしは叔母の娘のような気分で東京の人と結婚した。みっともない母の娘ではあるけれど、わたしには尊敬する父と優しい叔母家族がいた。
ところが夫の転勤の海外暮らしで気づいた。自分の気持ちに。
それは、どうしても現地で手に入らない品があった時のこと。
香港のビルは極端に室温が低い。そこで夫が職場でひざ掛けだけでは寒いといいだしたのだ。
それなら腹巻を送ってもらおうと思ったのだけれど、それが叔母に頼めない。結納まで親の代わりに出席してくれた優しくて親切で大好きなはずの叔母に、たったそれだけのことがお願いできない。
代わりにそれを送ってくれたのは母だった。
あれほど何年も冷たい態度を取り続けていたというのに、母は当たり前のように沢山の荷物の中に夫用の腹巻を入れて送ってくれた。
それが自分の気持ちに気づいた初めての出来事だった。
母を知らない
まさかわたしがその母と暮らす日がくるなんて想像などしていなかった。
そして、あなたは母親のことをご存知だろうか?
わたしは知らなかった。
本当に何一つ知らなかった。
ただあのお願いの電話をした日、どうしたわけか、わたしの中の厚い壁を突き破り、わたしは母が自分にとても近い人であることに気づいたのだった。
それから20年の月日が過ぎ、大好きだった父が亡くなった。
その頃から、わたしは毎日離れて一人暮らす母に電話した。
ぼんやりとうつろになった母に明るい話題を届けようと、母がこのまま父の元へ行ってしまわないようにと。
そんなある日、一冊の本に吸い寄せられた。
その本に写る年老いた女性が、なぜか母と重なった。
すぐにその本を買い求め、母に送った。
それはターシャ・テューダーさんの園芸の本だった。
ターシャ・テューダーさん
毎日電話で話すようになると、いつしか母はわたしの電話を待つようになった。そしてたわいのない話しを大切そうに聞くようになった。
それから庭に出るようになり、やがて花を育てるようになった。
母は植物好きだ。
あの本をはじめて本屋で目にした時ターシャ・テューダーさんが母に思えた。
きっとこの人も多くを語らない人だろうと思った。硬いけれど意地悪でなく、硬いけれど威張ることなく、硬いけれどどこか可愛らしい、きっとそんな人だろうと思えた。
やがて数年が経過して、一人で暮らす母の広大な庭に様々な花が咲き乱れるようになると、遠くからそれを見に来る人まで現れた。母の花は多くの人に知られるようになった
ターシャ・テューダーさんが母を元気にしてくれた。
ターシャ・テューダーさんとの再会
その母が3年半前我が家へやってきた。
最も母を忌み嫌ったわたしを母は最期に暮らす人として選んだのだった。故郷を後にするとき既に母は決めていたのだ。
それから暫くして、わたしはここnoteとスタエフで動きはじめた。
するとそれまでわたしの人生とは縁の無かった人たちと知り合うようになった。絵本好きの人たちだ。
スタエフで絵本の魅力を語られるゴールディーさんとの出会い。そこでわたしは絵本の魅力を知った。
そのゴールディーさんがある日、一番好きな本『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』について語られた。
その本を図書館で借りてみた。
何が書かれているのだろうと気になった。
するとその本にあのターシャ・テューダーさんのことが書かれていた。園芸家だとばかり思っていたその人は絵本作家でもあった。
こんなふうにしてわたしは人生でちょっとだけかすった人と再び出会うことがある。
想像した通り、彼女はどこか母と似ていた。お日様と草木をこよなく愛し、多くを語らず、身の丈に合った暮らしを好む人だった。
昨日、図書館でそのターシャ・テューダーさんの本を借りて母に見せた。すると母が、「その人の本を持っていたわよ」と言う。
父を亡くしたばかりのまだ母がぼんやりとしていた頃、わたしが送った本だったと告げると驚いていた。覚えていないのだ。夫を亡くした数年間の記憶の多くが母から消えている。
母を知る
卑しい女といわれていた母。それはお世話になったあの家族だけではなく、親戚の大半が同じように母を見ていたのだろう。
そしてこれほど時間が経過したというのに、時にわたしに刷り込まれた母の評価がわたしの中で顔を出す。これがマインドコントロールの強さであり、怖さでもある。
母を好きだということに気づくのに随分時間がかかった。
けれど、それがわかっても、まだわたしは母を理解することはできず、そのまま母を受け入れた。
ところがスタエフで母と朗読を聞くようになると、無知で教養のない人であるはずの母が、夏目漱石が好きで宮沢賢治で好きで、今は夏井いつきさんも好きだということに気づいた。
外出の折、本屋や図書館に立ち寄ると、母の好きそうな本を買ったり借りたりする。
そして母はあっという間に一冊の本を何度も読む。
そうしてわたしの古い記憶は徐々に上書きされていった。と同時に、母にこびりついた汚れが洗い流されてもいった。
母は苦しかった日々を語らない。何も覚えていないという。
それでも昔のことを語ろうとすと涙が零れるともいう。
母と娘
母にも幼い頃があり、嫁いだばかりの頃があり、母の人生があった。
古ぼけて薄っぺらで無力な人にしか思えなかった母。
「どうして主張しなかったの!」「どうして主張できなかったの!」と思った時期もあった。
「わたしを守ろうとしなかった」そう思った時もあった。
母は貝のように口を閉ざして生きてきた。そんな生き方を弱くてズルイ生き方だと思ったこともあった。
けれど、どうしてそんなことができたろう。あの時代、母に何ができたろう。本当の母は語られる母にすっかり染まってしまっていたのだから。
古い家に嫁いだ母。古い家には古い考えが貼りついていて、古い誇りも貼りついていた。もしかしたらそのささくれた誇りを保つために母は必要だったのかもしれない。母はそんな人たちの心の隙間を埋める役割を担わされたのかもしれない。
理解できないまま暮らしはじめた母。わたしはその母を徐々に知ることになった。
そしてそれは自分を知ることでもあったとも思う。そう、わたしに貼りついた汚れも徐々に洗い流されていったのだから。
おわりに
母と娘は難しい。
それでも母と娘は特別だ。
どうにもならないことはある。
娘はみえる母ばかりを評価しがちだけれど、見えなかった母の人生が見えた時、娘は年老いた母にもう一度寄り添えるのかもしれない。そしてわたしは今、あの若かりし日の数年間を償っているのかもしれないとも思う。母と娘、色々あるけれど、そんなことに気づけたことに今は感謝している。
図書
『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』2010 末盛千枝子 現代企画室
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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