自分の記憶、他人の記憶
先日、街歩きをした際、古本屋に立ち寄った。
そこで一冊の本を買った。
『マオ』、毛沢東の生涯が書かれた本だ
奥の店主らしき人にそれを手渡すと、
「55円です」
と素っ気なく言われた。55円だ。
学生街の古本屋。かつてはたくさんの古本屋が並んでいたけれど、今ではシャッターが下りている店もある。それでも古本屋は面白い。店に並ぶ本はいい本が多い。
ただ、この『マオ』は毛沢東に興味があって買ったわけではない。わたしが興味があったのは作者のユン・チアンさんの方なのだ。
彼女が書いた『ワイルド・スワン』は、今もわたしの本棚にある。
その『ワイルド・スワン』は、海外暮らしの時に読んだ。
夫の駐在で暮らした香港で地元の人との交流があった。その交流で、一年に一度だけ心が重くなる時期があった。それがテレビで戦争の映像が流れる時期だった。
けれど一度親しくなると彼らはとても親切で、実におおらかだった。そうして2か月に一度ぐらいは決まって飲茶に誘ってくれ、お返しにわたしは日本の蕎麦などをふるまった。
そんな頃、わたしは『ワイルド・スワン』を読んでいる。
当時、何も知らなかった。本当に何も知らなかった。だからこそ『ワイルド・スワン』が知り会ったその人たちの人生と重なったのかもしれない。
作家のユン・チアンさんのご両親はずっと戦ってきた人たちだ。けれど内戦に敗れ、文化大革命がはじまると敗者である彼らには厳しい日々が待っていた。そんな時代を彼女もまた生きている。
余りに克明に書かれたその文章に気分が塞いだ。まだご家族が中国にいらっしゃるというのに大丈夫なのだろうかと心配したほどだ。
それほど『ワイルド・スワン』は日常がつぶさに記録され、人々が鮮やかに描かれていた。しかもそれは彼女の祖母の暮らしからはじまり、中国の時代が鮮やかに描き出されている。
そのユン・チアンさんの作品を見かけたのだ。だから迷わず買った。
その本をつい先ほどから読み始めた。といっても感想文を書きたかったわけではない。午前中スタエフで古本屋の話しをした。だから夜、少しばかり時間ができたので読みはじめたのだ。
ところが、何かが違う。それはすでに第1章から違っていた。
2冊の本は、どちらも同じ時代の内容だ。
同じ作者なのに何が違うのだろう、読みながらそんなことを考えた。
『マオ』は、相当な数の生き証人にインタビューをされていて、言葉も日記などから引用されている。かなり正確だ。
一方の『ワイルド・スワン』は、記憶をたどり自分軸でかかれたもの。
二つは同じようでもどこか違う。
自分事と他人事の違いなのだろうか。
それだけではない、そんな気がしてならない。
『マオ』には、事実を読みつつも、ちょっとした力が加わっている。
そのわずかな違い。
自分の経験と他人の経験。
自分の記憶と、他人の記憶。
そこに加わる自分の気持ち。
上手くいえないけれど、わたしはきっと本を自分でジャッジしながら読みたいのだろう。
大袈裟だし、生意気なのかもしれないけれど、その機会が既にわたしから奪われている。
『マオ』を読みながら『ワイルド・スワン』では感じなかったことを思った。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
こんなお知らせもいただきました。お読みくださった皆様、ありがとうございました。