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わたしの思う家族のスタイル

今日、韓国の少子化に関する記事を新聞で読みました。韓国では今「人口国家非常事態」宣言がでているそうです。

こうした記事を目にするたび、わたしは30数年前の子育てを思い出します。

わたしは夫の駐在の関係で、香港で子育てをしています。

そこで、韓国の女性たちと仲良くなりました。まだ、日韓に距離があった1990年代、知れば知るほどわたしたちには共通項が多かったのです。

■夫の長時間労働
■家事・育児は妻の責任
■介護は妻の責任

ちなみに、同じアジアでも、香港もシンガポールもすでに当時から国の政策で他国からメイドさんが働きに来ていて、男女は平等に働いていました。

そんな中、子どもが可哀そうと口にされていた韓国のママが何人もいたのです。たまたまそんな女性に会ったと思っていたのですが、現在OECD38か国中、韓国の出生率は38位、女性1人が生涯に産む子どもの推定人数は1を割っています。

その記事には、韓国では母親が娘に「あなたは子どもを産まない方がいい。やりたいことをやりなさい」と伝える、とあります。

それを思うと、当時の彼女たちの声は、韓国女性の心の叫びだったと思えてならないのです。


当時のわたしの印象では、英語を話す国の先進国の人たちは、パパはもちろん、ママたちも、子育てを大いに楽しんでいるように思えたのです。

ところが、日本と韓国では、子育てが負担だと感じていたり、不安を持っている女性が多かったように思うのです。

理由は、受験戦争ばかりではないと思うのです。

その根っこには、男が働くのがいい、という国のスタイルがあると思うのです。


たとえば、子どもを預けて働く女性の場合、

子どもは、しばしば突然、発熱します。

アメリカなどでは、子どもの発熱であれば電話一本で休めるという暗黙の了解があるそうです。

けれど、そうした暗黙の了解がなければ、子どもの発熱で頼れる人がいなければ、病児保育などを頼ったり、どうにか出社しようと頑張ります。そうしなければ、働きつづけることがしんどくなるからです。


ママであることはペナルティになることが多々あるのです。



マルクスは意識社会制度から派生すると考えました。

新しい生産様式が生まれると、人々の中に新しい意識と社会制度が生まれると。

戦前であれば力仕事が中心で、仕事と言えば男性が中心でした。

けれど、インターネットが普及した現在、男女の教育水準も変わらなくなり、米国でもカナダでも欧州でも、男女が同じように働けるようになってきています。

生産様式が変わり、意識と社会制度が変わった例だと思うのです。


けれど、ママが娘に出産はしない方がいいという国では、子育ては辛いのです。

育てる側も、育つ側も。


生産様式が変わっても、旧来の男が働くという家族のスタイルでは、

子どもの発熱でヒリヒリと周りに気を使い、綱渡りのような毎日を、うまく回していくために合理的に動かなきゃいけない、

となると、ママが最も合理的に動くしかないのです。


わたしは10数年前、南北線の駅で、夕方、赤ちゃんを抱き、リュックをしょって、大きな荷物を肩に掛け、ローヒールを履いた働くママであろう人が泣きだしてそのままホームに座り込む姿を、反対車両のドアが閉まる時、みたことがあります。

そのシーンが今でも鮮やかに記憶に残っています。

赤ちゃんがだんだんと反り返って大声で泣き始めたのです。

お母さんはあやしていたのですが、結局電車には乗れず、そのまま力尽きてへたり込んで泣き出してしまいました。

電車で子どもが泣き始めるとママたちは死ぬほど気を使います。


それを見て、子どもが幼い頃、働いて家事をしていた時の自分を見たような気がしました。

赤ちゃんはモノでも、生産的に動ける社員でもないのです。

最も効率的なところから遠い生き物なのです。


息子や娘とくつろいでゆっくり話をしたり、この子が本当に好きなものってなんだろうなんて思いで子どもと過ごしたり、

そんな時間を共に過ごして、やがて、子どもだけじゃなく、家族も育っていくのだと思うのです。

パパもママも、色々な働き方ができる、そんな家族に合わせたスタイルの働き方の出来る会社は、今の生産様式とマッチしていると思うのです。

時代に沿って、働き方を変え、意識も社会制度も同時に変える、

そうして、初めて、今の時代、家族を持ちたいと思う人が増えるのではないでしょうか。



※最後までお読みいただきありがとうございました。





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