![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/106634603/rectangle_large_type_2_9ffe35a94850d152e61c767713b16424.png?width=1200)
居てくれるだけでいい。#母と娘
先日、久しぶりにスタエフ仲間のliveにお邪魔した。すると、
「わあ、umiさんだ、嬉しいな。長く続けている人がどんどんいなくなっちゃって、居てくれるだけで嬉しいんですよね~」
といって頂いた。なるほどわたしはもう古株なんだと思った。確かにnoteでもたまに懐かしい人を見つけるとわたしも嬉しい。それでも、誰かに居てくれて嬉しいなんていわれたことはなかった。それがやけに沁みた。母もこんな感じだったのだろうか。
☆ ☆ ☆
母と暮らしはじめて4年。20代の頃、占いブームで、頼んでもいないのに周りの人に勝手に占われた。そして決まっていわれたのが、
「あなたは家をみる人ですよ」
という言葉。まさか、ご冗談でしょうと笑い飛ばしたのは3人まで。4人目にそれをいわれた時、なんだか気味が悪かった。わたしはきょうだいでたった一人、故郷を離れて暮らしている。
ところが50代後半になってそれが現実となり、夫にいわれた。
「いわれた通りになったね」
と。いつか夫にそのことを話していたのだ。ドキリとした。自分の人生はあの頃から既に決まっていたのだろうか。
父を亡くして数年、母の周りには大勢の人がいた。
けれど、誰もいなかった。
母と暮らしてそれを痛感した。
我が家へやってきた母は、いつもリビングの隅っこで植物を前に正座して、太ももに置いた右手を左手で撫でていた。
そんな母にわたしは幾度も苛立った。なにを聞いても、
「わたしにはよくわからない。考えられないから…」
という。けれど人が住まいを移すということはそれほど簡単なことではない。母は故郷をあとにする時、二度と帰らないことを誰にも告げずに我が家へやってきた。
それほどのことがあったのだ。
もちろん気の毒だ。それでもなぜわたしなのか、わからなかった。80代でなにもかも失い、後にした故郷。それなのに故郷の子どもたちを守ろうとする母。それでも帰りたくはない。しかも母をわたしが引き留めていると周りは疑っている。
だからつい声を荒げてしまうのだ。
「わたしを利用しているの?わたしは母さんにとって都合のいい娘なの?」
と。そうしていたたまれなくなって家を飛び出し、気分が鎮まると、街を歩きながら今度は母が不憫で不憫でたまらなくなる。
それからどれくらい経っただろう。
母が時々笑うようになった。そうしてわたしたちの会話を聞こうとするようになった。
けれど、母はそもそも話さない人なのだ。
それはもう昔からそうだった。
わたしが虐めにあった時も、本当に助けてほしいとおもった時も、母は何もしてくれなかった。
いつも傍にいてくれたのは父だった。父は肝心な時にはいつでもわたしの傍にいてくれて、心に残る言葉をかけてくれた。父がどれほどわたしを信用し大切に思っているのかわたしは疑うことなく知っていた。
けれど母はそうではなかった。
母のことはよく分からなかった。
何を考えているのかわからなかった。
そして母と暮らしはじめたわたしは、何度も母に詰め寄った。わたしは母を傷つけ、自分も傷つき、母に利用されているとしか思えなくて苦しかった。
けれど、そんなことを繰り返すうちにわかってきたのだ。
母は自分の存在が誰かに影響を与えるとは思ってなどいないということが。
自分の言葉がわたしにどれほど大きな影響を与えるのかを知らないのだ。
そんなことに気づいた。
それならつじつまが合う。
そこに居られないほどのことがあった子どもたちを否定すらできない母。わたしを一度もかばおうとしなかった母。いや、自分のことすらかばえない母。
母はわかっていないのだ。
それがわかった。
だからあの日いったのだ。
「居てくれるだけでいいんだよ」
と。
初めてそれを口にできた時、わたしは大きな川を渡れたんだと思う。
そうしたら母の緊張した顔が和らいだ。
母は知らなかったのだ。自分の存在がどれほど大きいのかということを。
母は知らなかったのだ。自分を粗末にした人をかばわなくてもいいということを。
母は知らなかったのだ。自分に価値があるということを。
だから母は何もいわなかった。
なぜ母が語らない人になったのか今ならわかる。ゆっくりと母が人生を語り始めた。母の人生に起こった数々の試練を。
母は語れないんじゃなかったのだ。語らない選択をしたのだ。それを繰り返すうちに、語れない人になってしまった。語る術を手放してしまったのだ。
故郷を後にしようと決めたその日、母は声を上げて一人、一日泣いたのだという。
大きな家の嫁になった日から、仕方のないことばかりがあったのだという。口を開くと大変なことになったのだという。どうにもできなかったのだという。
だから母の人生は父なしには動けなかったのだ。その父が居なくなってしまった。
そんなことを母が生きている時に聞けて良かった。
母を知ることが出来てよかった。
居てくれるだけで嬉しい、今は心からそう思っている。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。