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捨てることのダメージ 親の家の片づけ
親の家の片づけが大変って話し聞くけれど…
今日はそんなお話しを少し。
モノに宿る記憶
母は本が好きだ。白内障の手術いらい裸眼で本をよむ。
今は文芸春秋の『オール読物』や雑誌、それから向田邦子などを好んで読んでいる。先日、本の整理をしていると、数か月前、母に買ったと思われる小冊子がでてきた。
それは、どうやら有名人にインタビューをした特集のようだ。
その小冊子のタイトルは、
”人生が好転する小さな習慣”
その中に、五木寛之さんのインタビュー記事が含まれていた。
五木寛之さんは、モノは依代(よりしろ)だといわれる。
人はモノを通して、記憶を繰り返し味わうことができると。
だからモノは捨てない、そうおっしゃるのだ。
親の家の整理
時代の流れとはおかしなもので、一度勢いづくと、ある事柄がどんどん加速して、もう誰にも止められなくなる、そんなことがある。
ある物事をきっかに、
誰かが生み出した言葉をきっかけに、
それまで人々が神聖だと思っていた事柄ががらりと変わっていく、そんなことがままある。
そして、近頃よく耳にするのが親の家の片づけ。
ー--
その、片づけを、ご本人が健在な時にやる人がいる。子どもに迷惑かけられないから…と。家がスッキリと片付いて広くなった、そんな感想を耳にする。どんどん捨てて、スッキリ暮らしたいと。
思い切った決断に、ああよかった、そう思う人も少なくないはず。
母のよりしろ
モノは「依代・よりしろ」。
五木寛之さんの言葉は、今の流行りに逆行するようだ。彼は、モノは捨てないとおっしゃる。
モノがあると、その「よりしろ」を通して、当時の情景を鮮明に思い出せるからと。
年をとると、多くの別れを経験し人は孤独になる。そんな時、モノが忘れかけた記憶を思い出させ、人を癒してくれるのだと。
ー--
五木寛之さんと母は同年代だ。
どちらも戦争体験者。
ーーー
その、五木寛之さんより2つ年若の母が、85歳でありとあらゆるものを捨てられた。
捨てたのは子どもたち。
それは、父を亡くして数年後のこと。
そんなことが本当にあるのかと疑ったけれど、現実は、時に小説なんぞより軽くなにかを超えていくもの。
遅れて年をとる人たちには、年老いた母が見えないのだろう。
遅れて年をとる人たちには、母にまだ心があるなんて考えたこともないのだろう。
母は一度も抵抗していない。年をとってしまったから。年をとり夫を亡くした母には抵抗する力はもうない。
モノはだれのもの?
母のよりしろは、もう母の近くにはない。
五木寛之さんは、年をとると昔のことをすぐには思い出せないし、どんどん忘れていくといわれる。
頭のなかで考えるだけでは、なかなか思い出せないと。
それは本当だと思う。
母は、よりしろを失い、なにもかも思い出せなくなった。記憶のとっかかりを無くしたのだ。
ー--
けれど、きっとそれは世界で初めての出来事ではないはず。辛いことがあった時、この経験をするのはわたしが初めてじゃないはず、とわたしはよく思う。
誰かが同じおもいをすでに経験しているはずだ、とよく思う。
だって、人間だから。
そう、生きている間に、モノを捨てられてしまう親は母だけじゃない、わたしはそう思っている。
流行り言葉の力
流行りとは時に恐ろしいと思う。
特に流行り言葉は恐ろしい。
心がチクリとすることから、簡単に逃げられるようになる。
誰もがそれをやりはじめる、
100人がそれをやる、
知っている10人がそれをやる、
知っている誰か一人がそれをやる、
そんな流れが起こると、人は心がチクリとすることをサラリとやってのける。
あの人もやったから、と。
流行りはタブーをひょいと超えるのだ。
ー--
でも、モノはよりしろ。
モノはその人の記憶の一部。いや、もしや記憶の全てなのかもしれない。
どんなに大変でも、親の家の片づけは親が望んだ時がいい。わたしは今でもそう思っている。
たとえ流行りでも、たとえ時代が変わっても、心がチクリとすることは一度立ち止まって考える。流されたくない。人の作り出した言葉に簡単に流されたくない。
おわりに
けれど、母はもう大丈夫。
あれから3年。母のまわりには、また母のよりしろができてきた。そして、母はまた笑えるようになった。
何かが流行る時、立ち止まって考えたい。
言葉には人を押し流す勢いがある、そのことをいつも覚えておきたい。
心がチクリとすること、それは、ほんとうはやりたくないんだと体が教えてくれていること。だって、苦しいから。わたしも、そして、誰かも。いつまでもいつまでも苦しいから。
わたしはそう思っている。