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広尾の蛇と映画とあの人と

物語の中を歩いていて、忘れていた何かがふと鮮やかに蘇る、そんな経験ってありませんか?

わたしはあの日、瑠璃さんの思い出に出会える場所・広尾をよんで、忘れていたはずの記憶がふいに漏れ出し、ひどく戸惑ったのでした。

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物語から零れおちた記憶

物語の中で描かれていた舞台は、広尾の都立中央図書館でした。

私もかつてそこに足繁く通った一人でした。けれど、わたしの思い出は、その図書館で懐かしい人と偶然会う、そんな美しい話しではありません。

私が出会ったのは、図書館へ向かう途中の有栖川記念公園の一匹の大きな蛇。そして、続いて思い出されたのが古い映画と一人の女性でした。

その物語に触れた時から、私は記憶の中を歩き出しました。

そして私は瑠璃さんにコメントを送ったのでした。そうしておいて、ああ余計なことをしてしまった、コメントなんかするんじゃなかったと後悔しはじめていました。

そんな私の下に、瑠璃さんの言葉が送られてきました。

そこには、消え去ったものは何一つないのだと感じています、と書かれていました。

旅先でそのことを静かに思いました。消え去ったものは何一つない、その意味を。

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自分のために生きる

それは、ある日の夕暮れ時のことでした。

私は自分の周りで起こりはじめている目に見えない不穏な様子を一人の知人に話してみようと思っていました。なにかがひどくおかしいのだと。

そのころ、すでに私の周りには厚い雲がたちこめていました。けれど、それをなんとか払えるんじゃないか、私はまだそんなことを思っていました。

ところが、待ち合わせの場所にやってきたその人は、開口一番こう言われたのです。「もし誰かのことであるのなら、名前は出さなくていいですから」と。

いきなりの先制パンチ。

突き放されたような気分になり戸惑います。けれどその人は、静かに私の話しを聞くと、はっきりと口にされたのです。「道は一つではありません」と。

その時、彼女をよくは知らなかったことに気づきます。すぐ隣にいる年若く幼さの残る顔をしたその人は、もはや私が知っていたはずのその人ではありませんでした。

大学を出たばかりの頃から、ずっと親を介護してきた。だから残りの人生は自分のことに使うと決めていると静かに言われたのです。

みじんの迷いもなく発せられた言葉でした。幼さが残ると思っていたその人は、良く見ると、ひどく大人の顔をしていました。

それからまもなく、その人は海の外へと旅立っていきました。

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記憶のなかの古い映画

もうずっと前観た映画があります。舞台はアメリカ。一人の男が魔女の烙印を押されて絞首刑になる、そんなストーリーでした。

始まりは一人の少女の嫉妬でした。その嫉妬が小さな嘘を生み、その嘘が次々に人を魔女に仕立てあげ人が狩られて行くのです。しまいには、愛おしいはずの男性にも魔の手が向かいます。

序盤は主人公の男性も、観ている私もも、子どもじみたその展開に「そんなバカな」とお気楽なものでした。

ところが物語は止まらないのです。それどころか加速して行くのです。

それを少女の嘘だと誰もが知っているのに、その嘘から誰もが逃げられなくなる。小さな嘘は、やがて嘘をこえて歩きはじめ、いつしか誰もが互いを信じられなくなり、人々は萎縮して行きます。

そこから、その嘘は恐ろしいほどの速さで恨みという化け物へと姿をかえ、目的をきっちりと果たし始めます。

そして、主人公の男性は処刑される道を選びます。それは届かなくなった声を愛する妻に届けるため。彼は妻へ命を捧げたのでした。

瑠璃さんのコメントを読み、私はいつか観たその映画を想い出したのです。

そして知ったのです。

私は彼だったのだと。



魔女裁判

はじめは冗談のようでした。まさかそんなことがあるはずがないと。けれど私はあの主人公と同じ道を辿りはじめます。

その日から、幾度も我が身を振りかえり、どんな過ちを犯したのかと、そればかりを考えていました。

嵐が吹き荒れるなか、吹き飛ばされそうになりながら何度も何度も。

けれど魔女裁判では被告に発言権はありません。閉ざされた場でひっそりと開かれ、恐ろしいほどの早さで進むのです。向かう先にあるのはただ一つ、ロールアップのみ。


そんな頃でした。

夕暮れ時、図書館へ向かって有栖川記念公園の脇を歩いていると、大きくて細長い淡いブルーの蛇と出会います。蛇はセメント色の塀と同じ色をして塀にはりついていました。


それから数ヶ月後のこと。魔女裁判が佳境をむかえたころ、夢を見ました。

8段ほどの階段の一番上に、あの日見た淡いブルーの蛇がドクロを巻き、私を見下ろしているのです。

左手にそれを感じながら坂道を登っていくと、その蛇が私の顔目掛けて飛びかかってきたのです。


それから間もなく、私は自分の居るはずだった場所を去ることにしました。




失ってなどいない

瑠璃さんは、消え去ったものは何一つないのだと感じていますと言われました。隠されていた何かが、ふとしたきっかけで、こうしてするりと現れてでてくるのです。それはきっと本当です。

消え去ったものなど、きっと何一つないのです。

深く傷つき沈んでゆく人。知らぬ間に体が風船のように膨らみ、意志の弱そうな顔へとかわってゆく人。その意味が今の私にはわかります。

どんな言葉も届かなくなり、虚な心になってゆく、そんなことが人にはあるということが、今の私にはわかります。

消え去ったものなど何一つない、それは本当です。

それでも、惨めだったあの日々が、今では私を支える土台の一つです。

自分が犯したかもしれない罪、そんなことを考え続けたあの時間。恐ろしくても、その時の中に、確かに私は居ました。

海の外へと旅立ったあの人は、きっと素敵に歳を重ねているでしょう。道は一つではありません、そう言ったその人は、黙ってこの国を後にしました。

今ならわかる気がします。自分のために生きる、その言葉の意味が。



過去の記憶と現在

瑠璃さんの物語と出会い、書かずにいられなくなって、そこに私なりの言葉を添えるとするなら、記憶には良し悪しはないのかもしれないということかもしれません。

私は確かにそこで生きていて、その時間を抜きには今では自分を語れなくて。でも、それは私を取り巻いていた多くの人たちも、また同じこと。

魔女裁判のあの映画では、人々はやがて正気に戻り、普通の暮らしに戻っていきました。被告の多くが命を落とし、小さな嘘をついた少女は違う街へうつり、もう故郷には戻れません。

そう、良し悪しではないのです。

私の中にも、貴女たちの中にも、消え去ったものなど何一つないのです。それはきっと、通り過ぎた時があるだけなのです。



※写真はみんなのフォトギャラリーの #MAHO YAMAGATA さんよりお借りしています。MAHOさん、ありがとうございます。

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