遠い日の思い出
今日は、LinkedInで、クリエイティブをお題に、30年ほど前にわたしが描いた油絵をご紹介しました。といっても、女性雑誌に掲載された4×5㎝ほどの小さな写真を20号に模写したものです。
モデルはイギリスを旅する作家故森瑤子さんですが、この絵には黒髪ソバージュは主張が強すぎるような気がして森さんは描いていません。
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わたしは、その昔、数冊の本を同時に読むような、少しおませな少女でした。そして、森瑤子さんの大人向けの小説は、高校生の頃には既に手に取っていたはずです。
10代の頃、わたしは余り話さないタイプだったはずです。自分を持て余していたのだと思うのです。そんなわたしの内側に、森瑤子さんの小説は、ちょっとした引っ掛かかりとして残っていたことを、やがてわたしは知ることになるのです。
結婚し、海外で子どもを産んだ時から、周りとは少し違う自分に再び気づいたのですから。わたしには専業主婦としての適性がなかったのです。
皆さんが楽しそうにしていることが少しも楽しめず、深い孤独を味わいました。
仕事を辞めて夫に帯同したわたしは、所属先が消え、恐ろしく不安定な立ち位置に居ることに気づき、そこから、どうにも話したくない10代の頃と同じような心持ちへと入り込んでいったのです。
そんな頃から、小さな納屋をアトリエにして、油絵を描き始めました。
この絵は、娘を出産して1月後~半年ほどの間に描いたものです。
女性雑誌に、森瑤子さんの旅行記が掲載されていて、それを見て、一目で懐かしい人に再会したような心持になったのでした。
だから、きっと描き始めたのだと思うのです。
10代の頃には、まだぼんやりとしていたのですが、
その頃、森さんの作品には一貫して、空虚さがにじみ出ていたのでは、と思えたのです。
わたしは、その不器用な作家さんが映る写真を毎日眺めながら、子どもが寝ると、絵の具を静かに重ねていきました。
あの頃、夫は夜中近くまで残業続きで家に帰らず、子どもはまだ可愛いと言えるほどの反応もなく、わたしは窓の外に広がる香港の夜景をいつまでもぼんやりと眺めて過ごしていました。
けれど、絵を描いている時だけは時間が止まり、静かに落ち着くのです。描くことで、母でも、妻でもない、自分自身を取り戻せていたのでしょうか。
ヘンリック・イプセンの『人形の家』は、自我に目覚め家を出るノラが描かれています。
森瑤子さんは、働いて家を出ても、まだ出られない何かに苦しんでいたのかもしれません。
もちろん、当時のわたしはまだ家さえ出られていません。
ただ、この絵が完成した頃、わたしは不思議と考えることをやめ、動き出しています。
それから、ローカルの女性たちや、色々な国から来た女性たちと忙しく語り始め、飲茶でお喋りしたり、日帰りの旅行にでかけたりと、楽しい日々を過ごすようになりました。
居場所がなく、自分の存在価値さえないと思えた海外で、状況を180度変えたのは自分でした。
わたしは笑いはじめ、人生を再び楽しみ始めたのです。
母としての適性が欠けていると悩んだ日々も、今では懐かしい思い出です。
自分と向き合う、こんな経験を経て、たった一つ良かったことは、娘に、「皆と一緒じゃなくても全く問題ない」と真顔で言えることです。
人生は長いと思っています。ですから、自分と向き合うために立ち止まっても全然大丈夫だと思うのです。
けれど、動き出す時がきたなら、迷わず動くのが良いいとも思っています。
自分自身に向かっても、常にそんなことを話しかけています。
※最後までお読みいただきありがとうございました。