タイミング
人との出会いは、決して偶然ではないのだろうと感じる時があります。
おそらく、会うべきタイミングで、人は人に会うのだと思うのです。
だからこそ、無理は良くないと思うのです。
無理に誰かに会いたいと思っても、それはきっと駄目なのです。
次期尚早なのです。
数か月前から、あゝこの方とお話がしてみたい、この方が何をされようとしていらっしゃるのかお尋ねしてみたい、そんなことを感じていました。
その後、心に何の濁りも湧いてこなければ、それはタイミングなのだろうとわたしは思うのです。
そう、欲が湧いて来た時、それはもうきっと駄目なのです。
その方と純粋にお会いしたいと思ったなら、道が拓けることもあるのでしょう。
わたしは今日、大きなお名前の方とお話しするチャンスを頂きました。
どうしても、その方にお伺いしたいことがあったのです。
もしや、わたしが考えていることと、その方がこれからされようとしていることには、接点があるのではと思えてならなかったのです。
そんな、大きなお名前の方からお声がかかるのを待っていたら浦島太郎になってしまいます。生涯出会うことなど、ありません。
小さな声のわたしの方から動かなければ、そんなご縁など待っていても決して生まれません。
ですから、わたしからご連絡させて頂きました。
駄目でもいいのです。
駄目なら、それはタイミングではなかったということ、それだけのことです。
恥ずかしいことではありません。
すると、その方が会ってくださったのです。
きっと、周りからみると奇跡に映ると思うのです。
けれどこれは奇跡ではなく、そんなタイミングだったのです。
人と人の関係は不思議なものです。
いつの頃からか、わたしは感覚で生きるようになっている部分があります。
遠く離れている方であっても、会うべき人がわかる気がする時があるのです。
わたしはそれを心の声だと思っていました。
けれど、それを、いつか「波動」と呼ばれた方がいました。
そうなのかもしれません。
耳を澄まして、心を整えて、日々過ごし、淡々と過ごしていたなら、そんな時に出会えた方とは、きっといいお付き合いが始まります。
ただし、ご縁があればの話です。
このご縁とて、それは人には分からないものだと思うのです。
今日は素晴らしい一日でした。
はい、ちゃんと神様に感謝します。
もっと、クリアな思考の人間に成長したいとも思いました。
わたしは、まだまだ伸びしろだらけです。
ここから、数年後の自分をイメージして、確かな一日を歩いていかなきゃと思えたのです。
今日はそんなことを感じた良き日でした。
※最後まで読んで頂きありがとうございます。
※11月11日(月)13時~名古屋の春日井市にある、きなりさんのお部屋で、クイズ形式で働き方についてお話しする予定です。ご興味のある方はいらしてくださいね。詳細はHPをご覧ください。