急に降りちゃあぶないよ! #主婦年金と主婦のパート
空気を読む、バランスをとる、微調整する、それは日本人が得意とするところ。この国はそんな国だ。
でも、主婦年金は?これをいきなり外すとバランス崩れちゃわない?
主婦のパート
主婦のパートってすごい世界だと思う。なんたって最低賃金ワールドなのだ。いい方はちょっと乱暴になるけれど、彼女たちは実に使い勝手のいい働き手なのだ。
なんたって既に労働市場で働いた経験を持つ人たちなのだ。文字も書ければワードもエクセルもパワポもネットだって巧みに使いこなす。しかも小さな子どもがいるとか、介護中だとか、何かしらのハンデを負うから表立って贅沢のいえない人が集まってる。だから皆よく働く。
そして経営者ならこれほど使い勝手のいい働き手はない、とわたしが経営者なら思うだろう。
そうそれが主婦のパートワールドなのだ。
労働市場の形
だけどどうして彼女たちはこんな低賃金の場を選ぶのだろう?
子どもから離れたくないから?
それとも厚生年金を納めたくないから?
近頃は主婦は税金納めないなんて皆怒っているし、主婦年金を取り上げろ~って流れが加速してしている(そちらの内容は下の記事でお話ししています)。
だったらもっと稼げる場所に移動したらいいじゃない?と思う。
けれどことはそれほどシンプルでもない。どうやら彼女たち労働市場の吹き溜まりに流れついたってことらしい。考えてみると、
●日本の労働市場の軸は正規雇用の基幹職。そこにいるのはほぼ男性だ。女性も少しはいるけれど。
●その周りを正規雇用の一般職が取り囲む。ここは女性の方が多い。
●さらにその周りを有期雇用者(非正規)が取り囲む。ここは今では男女混合。
●主婦のパートはその労働市場の最、最、最端の部分。
選択肢
彼女たちには既に社会で働いた経験がある。中にはバリバリ働いていたツワモノだっている。それなのによりによって労働市場の最端で働いている。
どうしてだろう?
まあ、そんなことわざわざ書かなくたって誰でも知っているけどね。
面接に行くと、「まだ小さなお子さんがいらっしゃるんですよね?」とか「ご立派なキャリアをお持ちなんですね?」とかいわれる。
そう、30代、40代の子持ちの主婦は嫌われるのだ。
どうせお子さんの熱で会社休むでしょ困るんだよねそういうの、それに独身の若い女性が入った方が社員の働くモチベーション上がるんだよな、なんて心で呟く人事だって少なくないはず。
そう、彼女たちにはなかなか選択肢がないのだ。だから多くの元働く女性で、今は主婦の女性たちが吹き溜まりのような労働市場の最端に流されていく。
日本版「生活賃金」
この国はまだお父さんが家族を支える生活賃金で回っている。
トヨタの配偶者手当おしまいにしますというニュースをみて、さすが日本を引っ張るトヨタ、労働市場の形を欧米化しようとしているなんて思ったけれど、感心している場合じゃない。これこそが国と企業が作り上げた日本の形だったのだから。
今は主婦年金だけが注目されているけれど、企業だってお父さんたちに家族を養うための賃金を支払ってきた。配偶者手当だって出してきたのだ。
それこそが、この国の女は家、男は外って形を維持する装置だったのだ。
それが良くも悪くもこの国の好みだった。
だから日本版「生活賃金」はずっと続いてきた。
階層
欧州の国の中では今も階層がはっきりと残る国があると聞くけれど、この国にもそれはある。
それが最もわかりやすいのが主婦だ。こちらはいずれ詳しく書くけれど、そもそもこの国では主婦には権利さえ与えられていなかった。ちょっとショックかもしれないけれど階層という側面から眺めると主婦は夫の付属品だったのだ。それは統計をチェックするとよくわかる。主婦のデーターは長い間集められてさえいなかったのだから。
なぜ?
それは付属品だから。主婦のことは夫を見れば十分という時代が長かったということ。主婦は夫の階層に属す人だったのだから。
そもそもこの国には主権者意識が馴染みにくい。なにしろこの国には個人というより家族の形を維持したいというパワーの方が当たり前に強かったのだから。そこのパワーに主婦は完全に飲み込まれてしまう。
そう、主婦は夫の階層に居る人、つまり家の一部だったのだ。もちろん個人としての権利という認識はなじみにくい。
新しい働き方
だから主婦のパートという特殊な働き方がこの国で誕生したのだ。
ただこのパートという枠は労働者としての枠ではない。夫が貰ってくる日本版「生活賃金」でちょっと不足するところを補うための働き方であり、労働市場の圏外なのだ。
だいたい妻が働くと夫が稼ぎが悪いと笑われた時代が長かったのだ。この国はそんな国だったのだ。稼ぐのは男、夫の役割というのが自然だったのだ。
けれどパートという新しい働き方がこの国に生まれた。
主婦でも働いていいんですよなんて言われたのだ。
それまで主婦といえば家に居る人だったというのに。
これはいいかもしれない。働きにでると夫の賃金じゃ諦めざるを得なかった子どもの教育費だって捻出できるかもしれない、そう思う人がいたって不思議ではない。
だからパートとしう働き方を主婦も選んだのだ。
いま見ると確かにおかしいよね
物事をいま見えていることだけで眺めると理解できないことがある。今では主婦はズルイといわれる主婦年金でも、これは国が内助の功を認めて作り出したもの。そう、国が作った制度なのだ。
それから、主婦のパートだって生活賃金というスタイルがこの国で定着していたからこそ考え出された働き方だった。
当時はどちらも社会にとって都合が良かったのだ。なぜってどこまで行っても家制度がしっかり残る社会だったから。
もちろん今でも家制度は見えない形でこの社会に居座っている。それが無くなるとこの国は大変なことになってしまうと考える人だっている。でもその日本社会が維持しようと懸命になっていた家族の形は女性が犠牲になってはじめて成り立つ形。
確かに主婦のパートはそんな家族の形から見るとなかなかいい働き方だったに違いない。
でもね、もうそんな暮らしが嫌で女性は結婚さえ選ばなくなっている。結婚って何だろう?って思い始めている。
だから今なら分かる。主婦年金も主婦のパートもそりゃ家にとっては良いいよね。でも女性にとってはどう考えたって平等じゃないよねと。
おわりに
主婦年金は悪い。けれど主婦のパートについては誰も触れようとしない。今あるのはそんな流れだ。そしてどちらもこの国独自のもの。その二つを並べて考えてみるとこれこそがこの国の形だったのだと思わずにいられない。
シーソー遊びする時わたしたちは、急に降りちゃ相手がケガするから降りるよって声をかける。主婦年金と主婦のパート、これはシーソー左右にあったもの。その片方だけを無くそうという。そうすることでこれから何がこれから起こるのかちゃんと当事者である女性たちが考えなきゃいけない。だって誰も触れない大切な事ってあるから。
次回はそんなことを考えてみたい。
参考図書
『日本の社会階層とそのメカニズム』2011 盛山和夫 片瀬一男 神林博史 三輪哲[編者]白桃書房
つづく。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。良かったらお聞きくださいね。