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白いボールが青いボールに。キャッチボールで思うこと #主婦問題
きっと多くの人が何度も立ち止まったに違いない。
何かを伝えるだなんて…そもそもそこがおこがましいではないかと。
投げたボール
昨日お二人からメッセージが届いた。お一人は応援の、もうお一人は‥。
わたしは先日、若い女性に届けばと願いつつ、こんなボールを投げてみた。おそらくお二人はそうした内容にメッセージを下さったのだと思う。
わたしがお話ししたのは、主婦には問題が2つあるということ。
一つが、世間で甘えているといわれる主婦年金。
けれど忘れてはならないのが、主婦は労働市場では雇用の調整弁。そう、もう一つの主婦問題は主婦のパートだ。
与えて奪う、そんなふうにしてこの国は、企業は、バランスを取ってきた。
それが今その片方だけがこの国で主婦問題と化している、この国はそんな問題を今抱えているとお話しした。
ところがそんな中、若い女性が今でも専業主婦になりたいという。
だから、ここは決して平等な場などではないと若い方々にお伝えしたいと思わずにいられない。
主婦年金が誕生して40年弱。けれど主婦たちはすでに70年以上もこの社会で雇用の調整弁として使われてきた。
主婦の現実
わたしはその主婦枠で生きてきた。一度主婦になると、そこから出られなかった。そこがこの国の深刻な問題だと思っている。
わたしが一般の労働者なら厚生年金を納める。けれどパートの主婦の大半は最低賃金で働く。そこから自身で年金を納めるようにと国は促している。
けれど、それでは主婦はくたくたになる。働く喜びも、誇りさえも奪い取られていく。
賃金が安い、たったそれだけで、外でも内側でも主婦は辛い目に合う。
家の中では、働きながら家事育児が妻の仕事になる。
珍しいことではない。
なぜなら、妻も稼ぎ手の夫の体調に気を遣うから。
それから、稼げない妻に家の仕事は全てやってくれという夫もいる。
自分一人では働いても家族を養っていけないことが分かっている。だから稼げない妻はくたくたになりながらも家事育児を担うことになる。
ボール
昨日こんなコメントを頂いた。
自分の思うところを真っ直ぐに発信するのは勇気のいることだと思います。
…言語化できなかったモヤモヤがumiさんの発信で腑に落ちることもありましたよ。…これからも応援していますね。
そんなことを書いて下さった。とても嬉しかった。
そしてもう一人、
母親は奴隷でしょうか?
という匿名のレターが夕方送られてきた。
その違いを昨日の夕方からずっと考えていた。
白いボールを投げたつもりが青いボールが返ってきた、そんな気分。
投げたボール
この国は、女性を保護する形がいまも残る。男が長時間外で働き、保護される側の女性が家事育児をするというのが、この国と企業が作り上げた形だ。
けれど、その形は男だけが選んだわけではないとも思う。
母親は奴隷でしょうか?というメッセージからもそれが伝わってくる。主婦という生き方に誇りをもつ人が大勢いる、それもまた真実。
そのことを女性の労働という面から考えるなら、それは本当だ。そうした人たちは安い賃金でこの国を支えてこられた。彼女たちなしには今の日本はあり得ない。それほど主婦は社会に貢献してきた。
ただ、それでもこの国の女性たちは貧しくなった。
とても貧しくなった。
それは世界の人たちが知っている。
ただここで、わたしは特定のどなたかの生き方を否定しようなどと考えたことは一度もない。ましてや奴隷だなどと思ったことは誓って一度もないということをお断りしておきたいと思う。
保護される
大人を保護するという形は、大人から自立する機会をうばうことでもある。
かつて正社員として働いていた女性が、今、主婦のパート枠の最低賃金で働く。それが8割をこえる。
働くということに属性など本来は関係ないはずだ。それはどの社会でも当たり前に通用する労働市場のルール。けれど日本では、主婦は主婦というだけで特別枠に放り込まれてしまう。
それなのにこの国の形はなかなか崩れない。
それがもしも現在の主婦の立ち位置を強く肯定する力が働いているのだとするなら、それは辛過ぎる。
それでは子どもを産むことがペナルティーになりはしないだろうか。
主婦年金が無くなろうとしている今、最低賃金で働く主婦が自ら厚生年金を納めることを強いられる国に向かおうとしている。だから、わたしは問題を解決するのなら2つ同時がいいと思っている。解決するのは主婦問題と主婦のパートだ。
そしてパートと非正規を守る労働法があることを働く側は知っておいてほしいと切に願う。
おわりに
頂いたレターで、ボールを投げることの難しさを感じつづけた1日だった。そして拙いわたしの思いが、レターを下さった方に少しでも届くことを祈らずにはいられない。
知らずに入り込んだ主婦の場でわたしは悩み続けてきた。そう、わたしは当事者の一人。そしてその場を知る当事者だからこそ、今後も発信していきたいと思っている。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。