【介護】罪悪感
7月の声を聞いたころから体調が優れず、加えて今年のこの暑さ、このままでは少し危ないとペースを落としました。
危ないとは、倒れてしまっては、家が回っていかなくなるという意味の危ない、です。
恐らく、わたしのような家庭は多いはずです。
現在わたしは、自宅で母の介護をしています。今は母の努力の甲斐あって、ほとんどのことが自分できるようになっています。とはいえ、3回の食事はわたしの担当ですし、水分補給にも気を付けています。
それとは別に、母としっかり話をしなくてはと思うことがあります。
忙しく過ごしていると、母の顔に少しだけ陰りが見える時があります。
現在、関東には台風が接近しています。こんな時、母の体が悲鳴をあげているはずです。
ところが、母は泣き言は口にしません。強い人です。けれど、顔色でその体の痛みを感じるのです。
夕食の際、あ、痛むんだとわかりました。
誰かが言っていたのです。
高齢者が厳しい顔をしている時は、痛みと戦っている時だと。
今夜、母はそんな顔をしていました。
こんな時、マミーギルドならぬ、ドーターギルド、そう、お世話している身であるはずの娘の心の奥底の罪悪感が顔を出すのです。
分かってはいます。
わたしだって不死身ではありません。忙しくて、ついつい、声を掛けたり、体に触れることをしないで過ごしてしまうのです。
ならば、ギルドなど関係ないではないですか。
けれど、ここが人の人たる由縁ってやつです。
母に抱く罪悪感のようなものが、ちょいちょい発動します。
ふと思うのです。そう、家族と一緒に暮らす高齢者の方が、孤独を感じるという、あれです。
どんなに気を使ったとて、母は我が家に身を寄せる身です。
台風が近づき、どんなに体が痛んでも、忙しそうなわたしにはそんなことは口が裂けてもいわないのです。
そして、今、久しぶりに母の背中をマッサージしてきました。
不思議と体に触れるだけで良いことが分かります。本当に、それだけでもいいのです。
もちろん、マッサージはしますが、それ以上に、わたしが母のことを思い出し、母の部屋を訪ね、話をしながら、痛む背中や足に手をやるだけで、母がとても安心するのがわかります。
痛みに挑む姿勢が弱まるのです。
そんなに戦っていたら、肩も首もがちがちでしょと思う訳です。
こうして、わたしは時に、母への愛というより、罪悪感が発動するのです。
これは、子育て中のワーママと恐らく同じ感じだと思うのです。
そんな感情は必要ないと学術的には言われますが、人間って不思議です。頭と心が離れているわけです。
そして、たったこれだけで、母が恐ろしく喜ぶ姿をみると、またもや罪悪感が顔を出します。
もっと、ゆったりと生活しなくてはと反省するのです。
※最後までお読みいただきありがとうございました。