自傷は生きてゆくために『傷口から人生』

自傷行為について考えている。いわゆるリストカットとかそういうのだけではなく、以前取り上げた『呪詛抜きダイエット』でいう過食も自傷。自暴自棄になるのも自傷。酒飲むのも、タバコ吸うのも自傷としてやっている場合もきっとある。

なんで自傷しちゃうんだろう?と考えたとき、迷わず本棚からこの本をとった。

田房永子さんのコミックエッセイが好きな人はぜったいハマると思う。タイトルが軽めですが、相当に壮絶な生き直しの記録、です。そして文章が圧倒的に上手い。文章がというか、この小野美由紀さんが自分の傷口を顕微鏡で見たり、レントゲンで見たりしているよう。

たとえば自傷についてはこう。著者が学校で食べ吐きをしていたときのエピソードとあわせて語られる。

 自傷をしている人は、実は、すごく鈍い。
 よく、自傷は、感受性の豊かな、繊細で敏感な人がするものだ、と思われている。それはそれで一理あるけれど、私はそれは違うと思う。
 だって、自傷は自殺と違って、生きるためにやってる行為なのだ。だから行う本人の耐久力はハンパじゃない。感度が高かったら、それこそ「イテテテ」ってなっちゃうでしょ。
 痛さをずっと味わうために、自分の感度をわざと下げる。そうすればずっと自分で自分を傷つけられる。自傷は刺激の自給自足だ。

 そのあとはこう続く。他人から攻撃を受け続けていると、あるとき「急に、かんっと、外の世界に対する感度が下がってしまう」と。そうやって感度を下げていないと自分がされていることに耐えられないから。そうして自分の感覚を限りなくオフにしていき、自分が傷ついていることにさえ鈍感な大人になる。
 そうしていると、世界と自分のあいだに分厚い膜ができるのだ。自傷行為をするのは、「現実に対しての鋭敏さを失った身体を、現実につなぎとめるための、肉体的なリアリティ」が必要だから。

 なるほどねえ。そして、ここからがかっこいい。

 それは、なんとしても生きてゆきたいという気持ちの裏返しだ。自分にとってよくないと分かっていても、エネルギーを吐き出さないほうが、もっと身体に悪いと、本人たちはわかっている。
 そこには、「命を粗末にしてはいけません」とか「自分を傷つけてはいけません」とか「自分を大切にしないのはいけません」といった倫理は通用しない。
 本人たちの絶対的な主観の中で、自分を現実につなぎとめるためにやっていることだから。

一見危うい行為も、生きるためにバランスをとるためにやってるわけで、自傷するから生きていられるともいえるし。自傷しなくなったら死んじゃうかもしれない。うーん。出口がないけど、このまま終えよう。気になったら本書を。

うめざわ
*この本Amazonで3回買ってたわ。


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