剛速球の俵万智『チョコレート革命』
金太郎飴のような人がいる。どこを切っても同じ顔。しかも、自分の顔じゃない。大量生産された顔を、さも自分のものかのように振る舞っているのが物悲しい。
金太郎さんの言葉を聞くと悲しくなる。どこかクラウド上にある言葉を、ケーブルかなんかでちゅーっと頭に注入して、口からそのまんま出している感じがして。そんな言葉はあなたが言わなくてもいいでしょう。誰かの言葉のメールサーバーになるだけだったら、あなたの存在価値はどこにあるのよ。
私が聞きたいのは、あなたの腹から、胸からせり上がってくる言葉なんだ。
もう、20年以上まえの俵万智が、そんなようなことを「チョコレート革命」という言葉に託していた気がする。
俵万智って、私のなかでは不倫の人ですよ、完全に。
初対面は「サラダ記念日?ふーん」で終わった。だが『チョコレート革命』見て、がぜん興味が湧いた。
優等生呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる
男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
いやもう、すごいでしょう。ドロドロなのに清々しい。剛速球。
これは、俵万智さんの基本スタンスが「誠実」だからなのだと思う。自分の心と言葉に。社会的には不倫であったとしても、私が思ったことにウソをつかない。ぐうの音も出ないほど純度の高い言葉たち。
大人の言葉には、摩擦をさけるための智慧や、自分を守るための方便や、相手を傷つけないためのあいまいさがたっぷり含まれている。そういった言葉は、生きてゆくために必要なこともあるけれど、恋愛のなかでは使いたくない種類のものだ。そしてまた、短歌を作るときにも。言葉が大人の顔をしはじめたら、チョコレート革命を起こさなくては、と思う。
(俵万智『チョコレート革命』河出書房新社、1997年 あとがきより)
俵万智訳『みだれ髪』がまたすさまじい。
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの
きょとんとしたふりして、燃える火の玉を胸のど真ん中に投げてくる。焼けた鉄みたいに真っ赤な与謝野晶子の歌を、これだけ私たちの感覚に引き戻してくれるなんて。あー、好きだなあ。気持ちがいい。
源氏物語のなかでは、朧月夜がお好きらしい。そう答えて、瀬戸内寂聴さんに「じゃ、相当あなた悪い子よ」と言われるのもさもありなんというか。激しい人だ、俵万智。男の人は、これどう読むんだろうなあ。
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